2021年1月6日水曜日

2021年1月6日(詩編8)

詩編8
主よ、我らの主よ
御名は全地でいかに力強いことか。
あなたは天上の威厳をこの地上に置き
幼子と乳飲み子の口によって砦を築かれた。(2から3a)

この詩編の最初と最後の言葉は同じ。すなわち、「主よ、我らの主よ、御名は全地でいかに力強いことか」が繰り返されています。この賛美の言葉で全体が囲い込まれているのです。全地にとどろく神の御名の力強さを高らかにほめたたえている。しかも、その方は「主」であり、「我らの主」とお呼びする方であって、どこかにいる崇高な存在のようなものではありません。この「主よ、我らの主よ」には日本語訳では二度「主」という言葉が繰り返されていますが、原文を見ると別々の単語が使われています。最初の「主よ」は、神のお名前を現す四つの文字が書かれ、「我らの主」という言葉は一般的な「私たちの主君」という単語が使われています。つまり、全地で力強い御名が賛美される方は、私たちがこの方の方を向いてお名前を呼び、私たちの主よ、と呼びかけることを喜んでくださる方なのです。天とそこに満ちるものをお造りになった方は、私たちが神に向かって賛美を献げることを喜んでくださいます。

この詩編は、天に満ちる神の御手の業を仰ぎながら、驚きます。
あなたの指の業である天を
あなたが据えた月と星を仰ぎ見て、思う。
人とは何者なのか、あなたが心に留めるとは。
人の子とは何者なのか、あなたが顧みるとは。(4から5)

まさに「驚いている」というべきであろうと思います。視線の移り変わりに注目してみます。まず、神の指を仰ぎ、その指の業である天を思う。果てしなく広がる天。そこには月と星とが輝いている。数え切れないほどの輝きを目の当たりにして、言葉を失う。これらはすべて神の指の業。果てしないこの天とそこに輝く星をお造りになった方が、人をもお造りになった。しかも神に僅かに劣る者として造り、栄光と誉れの冠を授けられた。一体、人とは何者なのか・・・。途方もない神の御業に驚いていることが、よく分かります。
賛美は驚きから生まれます。神の御業の途方もなさへの驚きです。この世界をお造りになった神の指が、この私にも働いているという驚きなのです。

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