2021年8月22日日曜日

2021年8月22日の聖句

私はあなたたちのうちを巡り歩き、あなたたちの神となり、あなたたちは私の民となる。(レビ26:12)
私たちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。私たちがこれらのことを書くのは、私たちの喜びが満ちあふれるようになるためです。(1ヨハネ1:3~4)

昨日のこのメールで、雅歌を読み終わりました。それによって2019年1月から始めた聖書の通読とそれに基づく朝の小説教を旧新約全巻行うことができました。今日からは『日々の聖句(ローズンゲン)』に基づいて、聖書の語りかけに耳を傾けていきたいと思います。

神さまは私たちのうちを巡り歩くことで私たちの神となってくださり、私たちをご自分の民としてくださるのだ、と言います。神さまが私たちのうちを歩いてくださっている。礼拝堂の中を考えてみても良いかもしれません。神さまは私たちが座っている椅子の間を歩いておられる。そうやってご自分の方から私たちに近しい方になってくださっているのです。神さまが私たちに近づいてくださったから、私たちは神の民になったのです。
教会は交わりを大切にしてきました。「交わり」というのは教会用語の一つで、教会の外では同じ意味で使っていません。(むしろ、ほとんど使われることのない言葉です。)誤解されることも多い言葉です。教会の交わりというのは、仲良くなることとまったく同じ意味というわけではありません。それも含まれるでしょうが、主たる意味は仲良しのことではない。教会の交わりというのは、共に礼拝を献げる交わり、ということです。神の前に共にひれ伏すところで生まれる交わりです。
そしてその交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりだと言います。私たちが共に神の御前にひれ伏すとき、私たちは父なる神と御子イエス・キリストとの間に交わされる愛にあずかっている。神秘的なことですが、私たちはこの秘儀にあずかっていると聖書は約束します。
このようにして毎日聖書の御言葉に聞くことも、神の御前にある私たちの交わりを確立する。私たちはこのようにして神の愛にあずかるのです。

2024年4月30日の聖句

主よ、思い起こしてください、あなたの憐れみと慈しみを。それはとこしえからあるもの。(詩編25:6) しかし、私たちの救い主である神の慈しみと、人間に対する愛とが現れたとき、神は、私たちがなした義の行いによってではなく、ご自分の憐れみによって、私たちを救ってくださいました。この憐れ...