2021年8月21日土曜日

2021年8月21日(雅歌8)

雅歌8
愛は死のように強く、熱情は陰府のように激しい。
愛の炎は熱く燃えさかる炎。
大水も愛を消し去ることはできません。
洪水もそれを押し流すことはありません。
愛を手に入れるために、家の財産をすべて
  差し出す者がいたとしても
蔑まれるだけでしょう。(6~7節)

身を焦がす激しい愛。説明が不要なほど、読む者の感情を揺さぶる言葉です。
ヨハネの黙示録にこのような言葉があります。「私はあなたの行いを知っている。あなたは、冷たくも熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。熱くも冷たくもなく、生温いので、私はあなたを口から吐き出そう」(3:15~16)。神さまへの愛に熱く燃えているわけでもなく、その反対に神さまをに対して冷たい感情を表しているというのでもない。生温い。言葉を換えれば、無関心ということではないでしょうか。生温くて、食べられたものではない。まずい。だから吐き出す。神さまはそうおっしゃいます。
どうして生温くなってしまうのか。「あなたは、『私は裕福で、満ち足りており、何一つ必要な物はない』と言っているが、自分が惨めな者、哀れな者、貧しい者、目の見えない者、裸の者であることが分かっていない」(17節)。裕福なつもり、満ち足りているつもりになっている。満足してしまっている。神さまなんて必要ないと思い込んでいる。別に神さまを憎んでいるわけではない。しかし、愛してもいない。その生ぬるさに私は耐えられない、と神さまは言われるのです。
雅歌が聖書に入れられ、私たちに伝えられているというのは、神さまへの熱い愛に生きる幸いを私たちに伝えるためです。洪水にも押し流すことのできない愛。私たちはそのような愛に招かれていますし、何よりもキリストはそうやって私たちを愛し、私たちを求めていてくださるのです。

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