2022年5月17日火曜日

2022年5月17日の聖句

主の助言は驚くべきもので、それをみごとに成し遂げる。(イザヤ28:29)
また、キリストは来て、遠くにいたあなたがたに平和を、また近くにいた人々にも平和を、福音として伝えられました。(エフェソ2:17)

この二つの御言葉が組み合わされているというのはたいへん興味深いことだと思います。旧約聖書では「主の助言」と言われています。助言というのは面白い言葉です。辞書で意味を引くと、「役に立ちそうな言葉をかけること。また、その言葉。アドバイス」と語釈されていました。人からの助言を受け入れてそれまでのやり方や自分のあり方を変える人もいますが、聞くだけ聞いて無視する人、結局自分を変えようとはしない人もいます。「助言」は、受け取る人によって重んじられることもあれば、軽んじられてしまうこともあります。
続けて新約聖書の御言葉を見ると、ここでは「平和」という言葉が繰り返されている。平和の福音。キリストが来て、遠くにいる者にも近くにいる者にも平和の福音を告げてくださった。平和が福音、良い知らせであるのだとしたら、現状は平和ではないということではないでしょうか。今現にあるものは特に良い知らせにはなりません。平和ではないところに平和がもたらされる。争いが終り、憎しみがあるところに和解が打ち立てられる。平和は、争いや憎しみや無関心を終わらせる愛の力です。ですから、平和がもたらされるというのは、私たちが変わるということを意味します。憎しみや無関心を内に秘めたままで平和になるということはあり得ない。私たちと誰かとの間が平和になるということは、お互いの間にあったわだかまりが解決されるということです。
神さまが私たちにもたらしてくださる平和の福音は、私たちを新しくする神さまの大いなる助言です。それを聞いて自分が変わることを、私たちは喜んで受け入れるのでしょうか。それとも、平和になることを拒んで頑固に自分の意地に凝り固まるのでしょうか。主イエス・キリストは、神の子でありながら私たちのためにへりくだり、十字架にかかるまで従順を貫きました。私たちのためにご自分を変えてくださいました。私たちを新しい平和の人にするために、キリストがまずご自分を変えてくださった。このようにしてキリストは私たちのところに来てくださったのです。

2024年5月3日の聖句

耳の聞こえない人を呪ってはならない。目の見えない人の前につまずく物を置いてはならない。あなたの神を畏れなさい。(レビ19:14) (イエスの言葉)あなたの父が慈しみ深いように、あなたがたも慈しみ深い者となりなさい。(ルカ6:36) 悪意を持ってわざと耳の聞こえない人を呪ったり、目...