2022年6月25日土曜日

2022年6月25日の聖句

人が自分の子を育てるように、あなたの神、主があなたを育ててくださったことを、あなたは心に留めているはずです。(申命記8:5)
イエスは言う:私があなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのだ。(ヨハネ13:15)

主イエスは私たちがまねるための模範を示した、と言われます。ここでは、とても具体的な出来事についての話をしている。すなわち、このヨハネによる福音書第13章を初めから読んでみると、主イエスさまが十字架にかけられる前の晩、弟子たちと一緒に囲んだ食卓で、弟子たちの足を洗った、という出来事が記録されています。これは主イエスの愛の極みであった、と聖書は記している。弟子たちの足を洗い、彼らに向かって主イエスはおっしゃいます。「私があなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのだ。」
主イエスが私たちに示してくださった模範、それは、愛の模範です。どうやって私たちが愛し合ったら良いのか、ということを主イエスが身をもって示してくださった。互いにひざまずいて、相手の僕になり、婢になって、足を洗い合う。私たちの生活習慣では足を洗うことはありません。しかしお互いの僕・婢として仕え合うということはいくらでもすることができるし、それが主イエスが私たちに示してくださった模範です。
主イエスの愛、神さまの愛。そのことを、旧約聖書ではこのように言っています。「人が自分の子を育てるように、あなたの神、主があなたを育ててくださったことを、あなたは心に留めているはずです。」神さまは、私たちをご自分の子を育てるように愛し、慈しみ、育んでくださった。その神の愛をあなたたちは心に留めているでしょう、と言っています。これまでのあなたたちの歩みの中で、神の愛を心底味わってきたはずです。聖書はそのように言います。
礼拝のことを、英語でサービスと言うことがあります。礼拝は私たちからの神さまへのサービスでもありますが、それ以上に、神さまの私たちへのサービスです。私たちが神さまを愛し、隣人を愛するよりも先に、神さまが私を愛してくださった。神さまが私に隣人を与えてくださった。そして私のことも隣人のことも、このお方が足を洗ってくださった。すべては神の愛から始まりました。わたしが今生きているただ一つの理由、それが神の愛に他ならないのです。

2024年5月3日の聖句

耳の聞こえない人を呪ってはならない。目の見えない人の前につまずく物を置いてはならない。あなたの神を畏れなさい。(レビ19:14) (イエスの言葉)あなたの父が慈しみ深いように、あなたがたも慈しみ深い者となりなさい。(ルカ6:36) 悪意を持ってわざと耳の聞こえない人を呪ったり、目...