2022年10月14日金曜日

2022年10月14日の聖句

万軍の主よ。あなただけが地上のすべての王国の神であり、あなたが天と地をお造りになったのです。(イザヤ37:16)
パウロは書く:こういうわけで、私は天と地にあるすべての家族の、「家族」という呼び名の元である御父の前で膝をかがめます。どうか御父が、その栄光の豊かさにしたがって、力を与えてくださいますように。(エフェソ3:14~16)

ここでパウロが書いているのは驚くべきことだと思います。
「私は天と地にあるすべての家族の、『家族』という呼び名の元である御父の前で膝をかがめます。」
このように言っていますが、「すべての家族の『家族』という呼び名の元である御父」というところに注目したい。ここを読むと、神さまが父でいらっしゃるということが、私たちが経験する家族の家族たる源だ、ということになります。これは大いなる発想の逆転です。私たちは普通、神さまはまるで母親のように私たちを愛してくださるとか、父親のようにしつけるとか、そういうふうに考えます。私たちの知っている親子の関係を基軸にして、神さまとの関係に譬えてみせる。しかし、聖書は実はそう言っていない。神さまが父であるという事実こそが私たちの「家族」という呼び名の元なのです。事態は私たちが考えていたのとは逆だったのです。
神さまは父なるお方。それは、主イエス・キリストの父ということです。主イエスは神さまの父としての愛を完全に信頼しておられます。「父は私を愛してくださる」とは、主イエスのお言葉です。更に主イエスは同じ文脈の中で「私は羊のために命を捨てる」とも言っておられます。父なる神さまの愛に完全に信頼している主イエスは、私たちのためにご自分の命を捨ててくださる。父なる神様が主イエスを愛し、主イエスは私たちを愛してくださる。神の完全な愛が私たちにも向けられている。それが、神が父でいらっしゃるという事実の意味するところです。
この神の完全な愛から、私たちは新しく「家族」を知ります。神の父としての愛が主で、私たちの家族経験は従です。私たちの家族が不完全だから神さまの愛も不完全なのではなく、私たちの罪深い家族関係を神の完全な愛が癒やし、建て直し、新しくしてくださる。その新しさは、もしかしたら天の国に行くまで私たちが目にすることはできないかも知れません。しかし、神の愛は完全ですから、来たる日に必ず私たちの家族関係をご自分の完全な愛で覆ってくださいます。
栄光が、父である神に永遠にありますように。

2024年5月6日の聖句

災いの日に、主は私を仮庵に隠し、幕屋の隠れ場にかくまってくださる。(詩編27:5) 主は真実な方です。あなたがたを強め、悪しき者から守ってくださいます。(2テサロニケ3:3) 私たちの神さまは、災いの日に私たちをかくまい、私たちを守ってくださるお方です。どんな災いにも打ち勝ち、ど...