2023年1月19日木曜日

2023年1月19日の聖句

神は地の果てまで見渡し、天の下、すべてのものを見ておられる。(ヨブ28:24)
これら小さい者たちの一人でも失われていくのは、天のあなた方の父のご意志ではない。(マタイ18:14)

神さまはこの世界の造り主、また王として、天の御座におられてそこから世界を見渡しておられます。しかし神さまは同時に、小さい者の一人をも覚え、その小さなものが失われるのを良しとはなさいません。神さまのこの高さと低さ、ここに神さまの尊い御意思が輝いています。
今私は小学校のPTAの会長をさせて頂いています。少なくはない会員がいます。今年、PTAの活動をかなり小さくする大改革をしました。人数が多い組織になると、どうしても「組織」としてのまとまりが大事になります。しかしそればかりに目が行くと、一人一人の人間が見えなくなります。特に「会長」のような役職に就いてしまうと、その傾向が強くなります。会長といっても何ら偉いわけではないですし、神さまが天の御座におられるということの譬えには全くなりません。しかし、人間というのは本当に限界が小さな存在で、自分の立場や自分の見え方が絶対だと思いがちです。自分の役割や立場にこだわってしまうと、そこにいる人間が見えなくなってしまう。それは、残念ながらよくある話なのではないかと思います。
ところが神さまはそうではないのです。地の果てまで見渡し、天の下のすべてのものを見ておられるという偉大さと、小さな一人の者をご覧になり、またその一人が失われることのないようになさるということが、神さまにおいては完全に矛盾なく一つでいらっしゃる。その神さまの御心は、主イエス・キリストによって実現されました。キリストは神の子でありながら、ご自分をむなしくして僕の姿となり、へりくだって、しかも十字架の死にいたるまで従順でいらっしゃいました。このお方が小さな一人を愛する神さまのご意志そのものです。神の子が一人の小さな者のためにへりくだってくださったのです。
私たちを生かすキリストのへりくだり。私たちを決して失われたままにはなさらない神の子の卑賤。神の弱さという秘儀が今日私たちを生かしているのです。

2024年5月9日の聖句

主は彼らに喜びを与えられた。(エズラ6:22) いつも喜んでいなさい。(1テサロニケ5:16) 復活の主日から40日目の今日は、主の昇天を祝う日として覚えられています。主イエス・キリストは、弟子たちの見ている前で天に昇って行かれたと聖書に書かれています。キリストは天に昇り、神の右...