2023年3月18日土曜日

2023年3月18日の聖句

すべての者が神を離れ、ことごとく腐り果てた。
善を行う者はいない。一人もいない。(詩編14:3)
いのちに至る門はなんと狭く、その道もなんと細いことでしょう。そして、それを見出す者はわずかです。(マタイ7:14)

「狭い門から入れ」と主イエスはお命じになります。狭い門。私たちは普通この言葉を、例えば東京大学に入学するとか、司法試験に合格するとか、そういう意味で使います。この門を通ることのできる人はごくわずかしかいない。尋常ではない才能や努力によらなければ通過することができない。だから頑張らなければならない。主イエスも、そういう意味でおっしゃったのでしょうか。
「いのちに至る門はなんと狭く、その道もなんと細いことでしょう。そして、それを見出す者はわずかです。」
確かにこの門を見出す人はわずかだ、と主はおっしゃっています。この門は狭く、その道も細い。これを見出す人は少ない。だからそれを見出すように普段から頑張れ、もっと努力しろ。そういうことなのか。
主イエスは、そうはおっしゃっていないと思います。確かにこの門は狭いし、その道は細い。それを見出す人は少ない。というよりも、自分の努力や頑張りでそれを見つけよう、その門を通ろうと思ってもそれは不可能だ、ということではないでしょうか。しかし主イエスはなんとしても私たちにその門を通ってほしいと願っていてくださいます。だからこそ、私たちのところにまで来てくださった。私たちがこの門を通るために。なぜなら、この門はいのちの門に他ならない。私たちがこの門を通って命を得ることを主は御心としていてくださいます。
「すべての者が神を離れ、ことごとく腐り果てた。善を行う者はいない。一人もいない。」主イエスはいのちの門を見出すことのない私たちの現実を私たち以上にご存じです。だから、ご自分が道になって私たちをいのちの門へと導いてくださいます。ここに命がある、私を通って行け、と主イエスは招いていてくださいます。
私たちの努力によって、この門を通るのではない。そうではなくて、主が招いていてくださる。主がこの門を開いていてくださる。ここに命に至る道があると呼びかけていてくださる。ですから、今こそ主イエスさまの呼び声に応じて、この門から入りましょう。ここに命があります。

2024年5月9日の聖句

主は彼らに喜びを与えられた。(エズラ6:22) いつも喜んでいなさい。(1テサロニケ5:16) 復活の主日から40日目の今日は、主の昇天を祝う日として覚えられています。主イエス・キリストは、弟子たちの見ている前で天に昇って行かれたと聖書に書かれています。キリストは天に昇り、神の右...