2023年3月28日火曜日

2023年3月28日の聖句

主は私たちを造られた様を知り、
私たちが塵にすぎないことを覚えておられる。(詩編103:14)
わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために。(2コリント4:10)

私たちが生きる現代社会は、少し前には考えることができなかったほど高度に文明が発達し、何でもできるようになりました。そのために手に入れたものもたくさんあります。いつでもどこででも、インターネットを使えば誰とでもつながることができます。地球の裏にいる人と顔を合わせて話し合うこともできます。医療も高度に発達しました。昔であれば治らなかった病気も次々に治療法が見つかっています。私たちはその恩恵を受けていますし、文明そのものを否定する必要はないと思います。
しかし、もしも私たちがそのために神様なんて必要ないと考えてしまうとしたら、それはひどく傲慢な考え方です。もう人間は神を必要としない。もはや神を必要とする幼稚な人類ではない。昔は神話や奇跡を必要としたかも知れないが、今やそのような迷信めいた宗教は必要ない。世界は大人になった。恐らく、それが「普通の」感覚であると思います。言葉にするかしないかはともかくとして。
もしかしたら、私たちの内にもそのような考えが忍び込んできているのかも知れません。この世界には、もはやキリストの福音は通用しないのではないか……?
聖書は言います。「主は私たちを造られた様を知り、私たちが塵にすぎないことを覚えておられる。」私たちは塵にすぎない。私たちの死を前にした無力を見つめています。土の塵から取られた私たちは、やがて塵に帰る。私たちはどんなに文明が高度になり、科学技術で万能に近づいたと思っても、死んで土の塵に帰ることには何ら変わりがない。あるいは、私たちには土の塵から命を造ることができないのです。私たちはどんなに科学技術が発達しても、命に対して無力です。
しかし、そのような私たちは神が造ってくださったものです。神が与えてくださった命です。私たちは土の塵にすぎない。しかしその土くれに過ぎない私たちの鼻に命の息を吹き入れたのは、神様です。私たちの命には価値があり、意味がある。それは神様が保証してくださいます。
それどころか、私たちの朽ちるべき命に、神はキリストを着させてくださいました。永遠の祝福を与えてくださいました。主イエス・キリストの祝福と恵みで、私たちを覆ってくださったのです。これほど確かな命の確かさがあるでしょうか。今日、私たちを生かす神の恵みの事実がここにあります。

2024年5月9日の聖句

主は彼らに喜びを与えられた。(エズラ6:22) いつも喜んでいなさい。(1テサロニケ5:16) 復活の主日から40日目の今日は、主の昇天を祝う日として覚えられています。主イエス・キリストは、弟子たちの見ている前で天に昇って行かれたと聖書に書かれています。キリストは天に昇り、神の右...