2023年4月13日木曜日

2023年4月13日の聖句

主よ、あなたは大いなる憐れみにより、あなたの民に終わりをもたらさず、またお見捨てになりませんでした。(ネヘミヤ9:31)
(イエスの言葉)私は生きている。だからあなたがたもまた生きる。(ヨハネ14:19)

この世界には、永遠に続くものは一つもありません。言葉にすれば至極当然ですが、普段はあまりそういうことは意識しません。無くなってみて初めて気づくということも少なくないと思います。
例えばこの三年間、コロナによって私たちの生活はずいぶん変わってしまいました。当たり前の日常と思っていたものは実はかなりもろい土台にすぎなかったことをまざまざと見せつけられました。ところが、私たちの社会はまた元のもろい土台の上に同じものを載せようとしています。砂の上に家を建てるかのようにして。
もっと良いものであっても、残念ながら永遠には続きません。親も子どもも配偶者もずっと生きていてくれるのではないし、自分自身の健康も命も限りあるものです。
ですから、移りゆくものや永遠ではないものは、本当の意味では私たちの生きる土台にはなり得ないのではないかと思います。私たちの人生が移ろいやすく、またもろいものだという事実は、とても悲しくさみしいものです。自分という存在の儚さを思わされます。
しかし、主なる神様は永遠のお方です。「私は生きている。だからあなたがたもまた生きる。」私たちにそう言ってくださったお方は、十字架にかけられましたが、神によって復活させられ、永遠に神の右におられるお方です。この方が生きておられるという事実が私たちの生きる基盤だと主は言ってくださいます。「だからあなた方もまた生きる。」
主なる神様の永遠は、「永遠の慈しみ」です。「主よ、あなたは大いなる憐れみにより、あなたの民に終わりをもたらさず、またお見捨てになりませんでした。」私たちは限りあるもの、弱くて小さく脆い土の器です。しかし、そんな私たちに神様は永遠の輝きを放つ宝を乗せてくださいました。神は私たちを見捨てることなく、神の御前にあって終わりをもたらさないと言ってくださるのです。驚くべきことです。
私たちの生きる土台は、神様ご自身です。このお方以外の一体どこへ、私たちはいくというのでしょう。永遠なる慈しみの神様以外、一体誰が私たちを救ってくださるのでしょうか。

2024年5月8日の聖句

(主は)私の口に新しい歌を、我らの神への賛美を授けてくださった。(詩編40:4) あなたがたは、心の霊において新たにされなさい。(エフェソ4:23) 主が、新しい歌を授けてくださった。すてきな言葉です。「主に、新しい歌を」とは言っていません。主が私の口に新しい歌を授けてくださった...