2023年4月15日土曜日

2023年4月14日の聖句

見よ、このような時が来る、と主は言われる。私はダビデのために正しい若枝を起こす。それは王である。彼は良く治め、国に法と義を行う。(エレミヤ23:5)
キリストは全生涯にわたって、死の恐怖の奴隷でいなければならなかった者たちを解放されました。(ヘブライ2:15)

「彼は良く治め、国に法と義を行う。」神様は、そのような義しい裁きを行う王を私たちのために立てるとおっしゃってくださいます。私たちの社会では一向にそれが実現しません。国の制度やその背後にある文化が違っても(あるいはもう少し直接的に言えば、日本であろうとアメリカであろうとロシアであろうと中国であろうとイギリスであろうと・・・)、治めている王が人間であるかぎり、それは不完全なものでしかありません。不正な裁きはどこに行ってもあるし、弱い人が虐げられたり、強い者が私腹を肥やしたり、法を無視する人もたくさんいます。人間がやっているかぎり、そういう何らかの不具合は無くならないのだと思います。しかし、神が起こしてくださる若枝、まことの王である方は、私たちを良く治めてくださる。国に法と義を行ってくださる方。聖書はそのように約束します。
そういう私たちの王であられるイエス・キリストは、人間や人間が生み出す悪から私たちを解放するだけでなく、私たちの悪の親分のような死からも私たちを解放してくださるのです。「キリストは全生涯にわたって、死の恐怖の奴隷でいなければならなかった者たちを解放されました。」死が私たちを奴隷にし、私たちを支配している。
思えば、この世の支配者の支配がなぜ悪に傾いていってしまうのかというと、そこには死の恐怖が強く根を張っているからなのかも知れません。自分が生き延びるため、自分が名誉を得るため、自分が更に力を得るため。あるいは、そういう力を自分の縁故ある者への特権として引き渡したい。そういう人間の強欲は、死をごまかすための人間の姑息な生き方に由来しているのではないでしょうか。
ところがキリストは私たちを死への恐怖から自由にしてくださる。ご自身の十字架での死と復活によって、私たちを新しくしてくださる。そこにキリストの御業があります。私たちはキリストのもの。それは私たちが生きているときにそうであるのと同じように、死にゆくときにも、そうなのです。だから私たちは救われている。聖書はそう宣言します。

2024年5月8日の聖句

(主は)私の口に新しい歌を、我らの神への賛美を授けてくださった。(詩編40:4) あなたがたは、心の霊において新たにされなさい。(エフェソ4:23) 主が、新しい歌を授けてくださった。すてきな言葉です。「主に、新しい歌を」とは言っていません。主が私の口に新しい歌を授けてくださった...