2023年4月27日木曜日

2023年4月27日の聖句

私はあなたを形づくった。あなたは私の僕。
イスラエルよ、あなたは私に忘れられることはない。(イザヤ44:21)
神はご自分の民を退けられたのであろうか。決してそうではない。(ローマ11:1)

主なる神様の憐れみは、私たちが考えているよりも遙かに深く、確かです。神様はおっしゃいます。「私はあなたを形づくった。」これは、昔話ではありません。現代の科学的な知見からは到底受け入れることのできない神話のようなものではない。私たちの命の意味、その尊さへの力強い神様からの宣言です。「私はあなたを形づくった。」あなたは神が憐れみをかけて造り、愛を込めて生み出した存在です。
旧約の中にはこのような言葉もあります。「女が自分の乳飲み子を忘れるだろうか。自分の胎内の子を憐れまずにいられようか。たとえ、女たちが忘れても、私はあなたを忘れない。(イザヤ書49:15)」母が自分の乳飲み子を忘れる、自分の胎の子を忘れる。およそ起こることのないはずの出来事です。しかし、悲しみを持って私たちが知っているのは、起こるはずのないことが現に起こっている、ということです。母が自分の子よりも自分を優先してしまうことは現に起こっている。自分の感情や楽しみ、あるいは生きるためにやむなく。なおのこと父については言うに及ばず、です。そして私たちはそういう自分の経験や見聞きしたこと、自分の思い込みでもって、神様の愛や憐れみにも勝手に限界をつけてしまいます。神の愛と言っても、どうせこの程度のものだろうと心のどこかで線を引いてしまう。諦めてしまう。ところが、そうではない、と神様はおっしゃいます。「たとえ、女たちが忘れても、私はあなたを忘れない。」神様の愛は、私たちの予想よりも、思い込みよりも、ずっと深くて確かです。
「私はあなたを形づくった。あなたは私の僕。イスラエルよ、あなたは私に忘れられることはない。」神様は、ご自分がお造りになった私たちに対して、最後まで責任を持ってくださいます。私たちはそのことを信じてよい。神様の祝福は私たちの想像を超えて確かなのです。
私たちには分からないことがたくさんあるし、手に余ることばかりです。「どうして」という問いは私たちから離れることがない。ところが、「神はご自分の民を退けられたのであろうか。決してそうではない」という聖書の御言葉を私たちは信じ続ける。それは、主イエス・キリストがおられるからです。キリストという神の愛の確かな徴が私たちの前にいてくださるからです。これは、確実なことです。

2024年5月8日の聖句

(主は)私の口に新しい歌を、我らの神への賛美を授けてくださった。(詩編40:4) あなたがたは、心の霊において新たにされなさい。(エフェソ4:23) 主が、新しい歌を授けてくださった。すてきな言葉です。「主に、新しい歌を」とは言っていません。主が私の口に新しい歌を授けてくださった...