2023年7月19日水曜日

2023年7月19日の聖句

神よ、あなたの群れを心に留めてください。彼らは、あなたがかつて買い取られ、ご自分の嗣業とされたのです。(詩編74:2)
(イエスの言葉)二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである。(マタイ18:20)

二人または三人が主イエス・キリストの御名によって集まるところ、そこには主イエスご自身がいてくださる。なぜなら、キリストのお名前によって集まる二人または三人というのは、主ご自身が買い取り、ご自分の嗣業としてくださったものたちに他ならないからです。キリストはご自分の民の内にいてくださるお方です。
今日の新約聖書の御言葉が伝えられているマタイによる福音書第18章を読むと、この章は一貫した主題を持っていることに気づきます。教会の誰かが罪を犯したとき、その人をどうしたら良いのかということを巡る主イエスの言葉がいくつも連ねられている。この章はそういう箇所のようです。
今日の御言葉も、教会の誰かが自分に対して罪を犯したとき、その人に対して一体どうしたら良いのかということを主イエスが教えてくださっています。その文脈の中で「どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を合わせるなら、天におられる私の父はそれをかなえてくださる。二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである」と続いています。即ち、ここでは明らかに、主イエスのお名前で集まるというのは、教会で罪を犯してしまった人のために祈る者たちのことを指しています。過ちに陥ってしまったある人のために祈る二人または三人。その祈りには主イエスご自身が伴ってくださっている、という約束です。
神ご自身が買い取り、ご自分の嗣業の民としてくださった私たちは、一人の罪人のために祈る群れです。私も、そうして祈って頂いて、救いに入れられました。私たちも同じように祈る。主イエスのお名前によって。主イエスの憐れみにすがって、共に一人の罪人として私たちも祈ります。ここにキリストがいてくださるから。私たちはキリストの寛大な御心、その慈悲によって、神の憐れみによって救われただけの罪人です。私たちはただただ赦された罪人として祈るだけです。キリストご自身がこの祈りに伴っていてくださることを、ただ信じて。

2024年5月8日の聖句

(主は)私の口に新しい歌を、我らの神への賛美を授けてくださった。(詩編40:4) あなたがたは、心の霊において新たにされなさい。(エフェソ4:23) 主が、新しい歌を授けてくださった。すてきな言葉です。「主に、新しい歌を」とは言っていません。主が私の口に新しい歌を授けてくださった...