2023年8月3日木曜日

2023年8月3日の成句

あなたがたの真実の愛は朝もやのよう、
朝早く消え去る霧のようだ。(ホセア6:4)
たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、私は騒がしいどら、やかましいシンバル。(1コリント13:1)

旧約聖書のホセア書は、非常に衝撃的な預言書です。預言者ホセアは神に命じられてゴメルという女を妻として迎え入れます。彼女は「淫行の女」と呼ばれていました。ホセアと夫婦になり、子どもが与えられても、なおも淫行を繰り返しました。
妻に裏切られる一人の夫の姿を通して、神様の御前に偶像礼拝を繰り返す神の民の不実を暴くのが、ホセア書です。今日与えられている御言葉は、主なる神様から神の民に告げられた言葉です。「あなたがたの真実の愛は朝もやのよう、朝早く消え去る霧のようだ。」私たちがどんなに真実の愛と自負するものを並べ立てたとしても、所詮は朝もやのようにあっという間に消え去ってしまう。霧のように儚く移ろうものに過ぎない。私たちの愛の乏しさ、空しさ、神様の御前での不実を告発します。
ハイデルベルク信仰問答では、私たちの罪を、神を愛することにも人を愛することにも失敗している現実に見ています。真実の愛に生きたいと願ってもそうではない私たちの現実の惨めさ。そこに私たちの罪が現れている。
今日の新約聖書の御言葉も、その現実を深く見つめています。「たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、私は騒がしいどら、やかましいシンバル。」異言というのは、ある特別な祈りのことです。普通の人には祈ることのできないような、特別な祈り。ですから異言の祈りを捧げられるのは特別な信仰の持ち主と考えられていました。ところが例え異言によって立派な祈りを捧げることができたとしても、他人とは違うと自負し、人からも賞賛される信仰をもっていたとしても、愛がなければただ騒々しいだけにすぎない。愛がなければ、すべてはむなしい・・・。
愛。そこにこそ、私たちの罪深い姿が現れてしまいます。しかし、ここにこそ神のすばらしい救いがあります。キリストは、このような私たちを、どのようなときにも愛し続けてくださいました。私たちには愛がないし、私たちは不真実です。しかし、キリストの真実は変わることなく、キリストの愛は永遠に確かです。私たちは愛ではないが、キリストは愛です。キリストが私たちを救ってくださいます。今日、私たちの道を照らすのは、変わることのないキリストの愛だけです。

2024年5月8日の聖句

(主は)私の口に新しい歌を、我らの神への賛美を授けてくださった。(詩編40:4) あなたがたは、心の霊において新たにされなさい。(エフェソ4:23) 主が、新しい歌を授けてくださった。すてきな言葉です。「主に、新しい歌を」とは言っていません。主が私の口に新しい歌を授けてくださった...