2023年9月20日水曜日

2023年9月20日の聖句

力ある拠り所は主を恐れることにある。(箴言14:26)
誰が、キリストの愛から私たちを引き離すことができましょう。苦難か、行き詰まりか、迫害か、餓えか、裸か、危険か、剣か。(ローマ8:35)

北鎌倉駅のすぐ側に東慶寺というお寺があります。かつては男子禁制の縁切り寺だったそうです。夫からひどい暴力を受けるようなことがあってそこに逃げ込むと、決して夫をそこに入れることはせず、その人を守ってくれた。今で言えばシェルターの役割を果たしていました。
この東慶寺の宝物に葡萄蒔絵螺鈿聖餅箱という小さな円筒型の器があります。これはもともとはカトリック教会のミサでご聖体を入れるための器物でした。ご聖体、私たちの言葉で言えば、聖餐のパンのことです。聖餐の器具がなぜお寺に収蔵されているのか。
かつて鎌倉には被差別部落がありましたが、そこでキリシタン伝道がなされました。その後のキリシタン弾圧の時代に、どうやら現地のキリシタンたちを東慶寺が匿ったようなのです。そのような経緯で、聖餐のための器具が東慶寺に預けられることになり、今に至るそうです。お寺がキリシタンのための逃れ場になった。不思議な奇跡です。
主なる神様は私たちの逃れ場になってくださいます。信仰のゆえに、あるいは性別を理由として受ける迫害や差別。あるいは他の理由で受ける痛みや嫌がらせ。あらゆる助けを必要としている人のための拠り所に、主なる神様ご自身がなってくださる。だから、この神の愛、キリストの愛から私たちを引き離すものは何もないのだ、と聖書は宣言します。その事実が私たちの慰めであり、励ましです。私たちは神様の御前で生きる。神と共に。例え神の助けの手が見えないときにも、神はおられないのではないかと疑いたくなるときにも、それでも神を信じ、私たちは大胆に生きます。見えない神を信じて。キリストの愛から私たちを引き離すものは何もない。私ではなく、キリストの愛の確かさが私たちの拠り所です。

2024年5月8日の聖句

(主は)私の口に新しい歌を、我らの神への賛美を授けてくださった。(詩編40:4) あなたがたは、心の霊において新たにされなさい。(エフェソ4:23) 主が、新しい歌を授けてくださった。すてきな言葉です。「主に、新しい歌を」とは言っていません。主が私の口に新しい歌を授けてくださった...