2023年9月21日木曜日

2023年9月21日の聖句

あなたは私を畏れ、懲らしめを受け入れる。(ゼファニヤ3:7)
イエスは神殿の境内に入り、商売人たちを追い出し初め、彼らに言われた。「こう書いてある。『私の家は、祈りの家となる』と。」(ルカ19:45~46)

神に祈るべき場所であった神殿を商売の場所としてしまった人々をご覧になって、主イエスは激しく怒りました。商売人たちを追い出した。商売をしている机をひっくり返し、縄で鞭を造って羊や牛も追い払ってしまいました。激しい怒りです。私たちの抱いている主イエスのイメージとはうまく重ならないような気さえしてしまいます。
しかし主イエスご自身がどのような思いでいらしたのかということを、もしかしたら私たちはあまり考えようとしなていないのかも知れません。ルカによる福音書を見てみると、主イエスがエルサレムに入り、最初にあったのがこの出来事でした。主イエスはエルサレムに上る途上、ご自分が十字架にかけられることを深く考えておられた。いよいよエルサレムに入り、最初に神殿がもはや本当に祈りの場ではなくなってしまっている惨状を目の当たりになさった。その思い、いかばかりでしょう。私などには想像もできないことですが、どんなにか悲しい思いでいらしたことかと思います。
確かに、私たちの抱いている主イエスのイメージとは重ならないかもしれない。しかし、そこまで激しくせざるを得ない主イエスのお心にも、私たちはほんの僅かにでも心を向けなければならないのだと思います。
「あなたは私を畏れ、懲らしめを受け入れる」と今日の旧約の御言葉にはあります。自分の過ちを糺し、軌道修正を迫る主の懲らしめを受け入れる準備が、私たちにはあるでしょうか。私たちにとっては苦しいことです。しかし時に、主はそのようにして私たちのあり方を問い、生き方の方向転換をお求めになるのだと思います。主を畏れ、へりくだって、御前に悔い改める私でありたいと願います。

2024年5月8日の聖句

(主は)私の口に新しい歌を、我らの神への賛美を授けてくださった。(詩編40:4) あなたがたは、心の霊において新たにされなさい。(エフェソ4:23) 主が、新しい歌を授けてくださった。すてきな言葉です。「主に、新しい歌を」とは言っていません。主が私の口に新しい歌を授けてくださった...