2023年9月7日木曜日

2023年9月7日の聖句

どうかまず主の言葉を伺ってみてください。(歴代誌下18:4)
あなたは、自分が学んで確信した事柄にとどまっていなさい。(2テモテ3:14)

日曜日の朝に目を覚まし、朝の準備をして身なりを整え、教会堂に向かいます。何かが起こることを期待して、私たちは礼拝への道を上っていきます。何かが起ころうとしていること、神が何かを始めようとしてくださっていることを信じて。それは私たちが人間的に見て弱く、小さかったとしても、確かに起こる出来事です。私たちが起こす出来事ではなく、神の出来事だからです。何かが起ころうとしている。それは、神がお語りになる、という出来事です。神が御言葉を語り出してくださること、そのことを私たちは期待し、待ち望み、礼拝への道を歩んでいるのです。
「どうかまず主の言葉を伺ってみてください。」これはヨシャファトというユダの王が口にした言葉です。この時代は、神の民の信仰の歴史という観点から見ると大きな危機の時代であったようです。自分に都合の好い言葉にばかり耳を傾け、神の言葉に聞こうとはしなかった。しかし、そういう時代にあっても神様は御言葉を語り続けました。例え人々が耳を貸さず、無視し、黙殺しても、神は語り続けたのです。
ヨシャファトの時代だけではありません。アブラハムも、モーセも、ダビデも、エリヤも、ペトロも、パウロも、神様に、キリストに、耳を傾けてきました。神が語りかけてくださることを信じ、期待し、待ち望みました。そして神の言葉を聞き、それに学び、従ったのです。「あなたは、自分が学んで確信した事柄にとどまっていなさい。」
私たちも、神の言葉に耳を傾けます。聖書を開いて耳を澄まします。礼拝という出来事の中で語ってくださる神様に耳を傾けます。説教や聖餐を通して語ってくださる神様に思いを向けます。賛美すること、祈ることの中でも語ってくださる神に耳を向けます。そして一人ひとりの祈りの生活において語りかけてくださる神の言葉を待ち望んでいます。
私たちは神の言葉に生かされるという点において、世々の信仰者とぴったり同じ歩みをしています。御言葉こそ私たちの道の光、私たちを照らす朝の光。今日も神の言葉の光が私たちたちの明かりとなっています。

2024年5月8日の聖句

(主は)私の口に新しい歌を、我らの神への賛美を授けてくださった。(詩編40:4) あなたがたは、心の霊において新たにされなさい。(エフェソ4:23) 主が、新しい歌を授けてくださった。すてきな言葉です。「主に、新しい歌を」とは言っていません。主が私の口に新しい歌を授けてくださった...