2023年12月22日金曜日

2023年12月22日の聖句

あなたが主の声に聞き従わないならば、主の手があなたがたの先祖に下ったように、あなたがたにも下るだろう。(サムエル上12:15)
完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れずにいる人は、聞いて忘れてしまう人ではなく、行う人になります。このような人は、その行いによって幸いな者となるのです。(ヤコブ1:25)

今日の御言葉は、私たちにある種の戸惑いを呼び起こすのではないでしょうか。普段聞いている話とちょっと違う感じがするからです。私たちは神の恵みによってのみ、信仰によってのみ救われる。私たちはそう聞いているし、聖書によればそれは事実です。私たちを救うのは私たち自身の功績ではなく、ただ神の憐れみだけです。神が私たちを救ってくださるのであって、私たちが自分で自分を救うことができるわけではない。それは、とても大切な真理です。
このようなことを考えてもいいかなと思います。主イエスが失われた息子の譬え話をしてくださいました。ある父親の息子が、父から財産を譲り受けるとすぐに遠い国に旅立って放蕩の限りを尽くし、その後破滅してしまった。彼は自分の過ちを悔いて父のもとへ帰ります。父はまだ遠くにいる内に彼を見つけて、走り寄って抱き寄せ、再び息子として受け入れました。この息子は死んでいたのに生き返ったと言って大喜びしました。
この息子は、翌朝、どうやって目を覚まし、新しい一日をどう送ったのでしょうか。どうせ父は何をしても赦してくれると嘯いて自堕落な生活を送ったのでしょうか。父を更に悲しませることを気にもかけなかったのでしょうか。そうだとしたら台無しです。
救いとは、神さまの御許で、赦された者としてふさわしく生きることです。神の愛を頂いた者として生きることです。もしもその愛を裏切れば、神さまは悲しまれることでしょう。さらにそれだけではなく、自分という存在、つまり無条件で受け入れられ、愛され生きている私という存在を否定することでもあります。私たちは神に愛されている者として、どう生きるのでしょうか。
律法は私たちが神に救われた人生を生きるためのガイドラインであり指針であり、羅針盤です。神を信じて、私たちは新しくなった。それは神さまが私たちの内に始めてくださった恵み深い御業です。私たちは神を信じて新しい私、これまでで一番私らしい私にして頂いた。御言葉の光が、私たちをもっとも幸いな人生へと導き出しているのです。

2024年5月8日の聖句

(主は)私の口に新しい歌を、我らの神への賛美を授けてくださった。(詩編40:4) あなたがたは、心の霊において新たにされなさい。(エフェソ4:23) 主が、新しい歌を授けてくださった。すてきな言葉です。「主に、新しい歌を」とは言っていません。主が私の口に新しい歌を授けてくださった...