2023年12月5日火曜日

2023年12月5日の聖句

数々の過ちが私を責めたてます。私たちの背きを、あなたが覆ってくださいます。(詩編65:4)
時が満ちると、神は、その御子を女から生まれた者、律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。それは、律法の下にある者を贖い出し、私たちに子としての身分を授けるためでした。(ガラテヤ4:4~5)

神様は私たちと出会ってくださるお方です。神様の愛に触れ、私たちにも信仰が与えられていく。そうやって、わたしたちの口にも祈りの言葉が与えられます。祈ることは私たちの喜び。しかし、祈りはじめると次第に祈りが空しく感じられることがある。信仰がとても空虚に思えて仕方なくなってしまうことがある。そうではないでしょうか。
それは、祈りが深まっている証拠です。なぜか。祈りが深まり、信仰が与えられていくに従って、聖なる神様の御前に自分の汚れや過ちが明らかになるからです。だから、自分の祈りにはびこる不信仰に敏感になり、祈りが空しく感じられるようになる。自分の信仰に潜む偽善が神様に近づくほどに明らかにされてしまい、空虚に感じないわけにいかなくなってしまうのです。
「数々の過ちが私を責めたてます。私たちの背きを、あなたが覆ってくださいます。」この言葉は、私たち自身の思いではないでしょうか。
しかしそんな私たちのためにキリストはお生まれくださいました。「時が満ちると、神は、その御子を女から生まれた者、律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。それは、律法の下にある者を贖い出し、私たちに子としての身分を授けるためでした。」律法の下に、と言います。律法は私たちの罪を明らかにする。神様の御前に立ち得ない私であることが暴かれてしまう。しかしそのような私たちを神のものとして贖い出すためにこそ、キリストは一人の女から生まれてこられたのです。私たちを神の子とするために。
今日、この日の私たちの祈りも、信仰も、キリストによって神の子の祈りに、神の子の信仰にして頂いています。私たちがどのような者であろうと、それに関わらず神が私たちをご自分のものとしてくださった。主イエス・キリストにあって。
この救いの宣言の中に私たちは生かされています。

2024年5月8日の聖句

(主は)私の口に新しい歌を、我らの神への賛美を授けてくださった。(詩編40:4) あなたがたは、心の霊において新たにされなさい。(エフェソ4:23) 主が、新しい歌を授けてくださった。すてきな言葉です。「主に、新しい歌を」とは言っていません。主が私の口に新しい歌を授けてくださった...