主よ、あなたの永遠の秩序を想起するとき、私は慰められました。(詩編119:52)
私たちの地上の住まいである幕屋は壊れても、神から与えられる建物があることを、私たちは知っています。人の手で造られたのではない天にある永遠の住まいです。(2コリント5:1)
「あなたの永遠の秩序」と書かれています。「秩序」と翻訳されている言葉ですが、聖書協会共同訳では「裁き」と翻訳されています。ミシュパートという単語で、裁き、正義、命令、法、などといった意味があります。私たちには私たちの裁きや正義があります。日本には日本の法があるし、秩序があります。しかし人間のつくり出す秩序は決して永遠ではありません。
キリスト者の作家の三浦綾子さんが『道ありき』という自伝を書いておられます。三浦綾子さんは満17歳になる前に、小学校の教師になりました。熱心に勤めました。軍国教育の時代です。しかしやがて敗戦を迎える。アメリカ軍が進駐し、これまでの教育は誤りであったとされ、子どもたちに教科書を墨で塗らせた。絶望し、自分にはもう教壇に立つ資格はないと考え、教職を辞しました。
どれほどの絶望であり、どんなに深い虚無・虚脱であったのか、想像を絶します。人間の建てた秩序は、その正義がどれほど絶対的に正しいと思われたものであったとしてもやがて崩れてしまいます。正しいと思っていたものも悪とされるし、悪と軽蔑されていたものが実は正しかったとされることもあります。人間の営みは空しいものです。
しかし、神の建てる秩序は人間のものとは違います。神の正義は永遠です。だから私たちは天を見上げます。そこから来られるキリストを待ち望みます。正義も正しい裁きも、神とその御子とにあると私たちは信じています。私たちは移ろうし、不確かだし、相対的な存在に過ぎない。ですから、神の御前にへりくだりましょう。神を畏れて身をかがめましょう。私たちを虚無や虚脱、悪と罪と死の力から救いだしてくださるキリストを待ち望みましょう。
私たちの地上の住まいである幕屋は壊れても、神から与えられる建物があることを、私たちは知っています。人の手で造られたのではない天にある永遠の住まいです。(2コリント5:1)
「あなたの永遠の秩序」と書かれています。「秩序」と翻訳されている言葉ですが、聖書協会共同訳では「裁き」と翻訳されています。ミシュパートという単語で、裁き、正義、命令、法、などといった意味があります。私たちには私たちの裁きや正義があります。日本には日本の法があるし、秩序があります。しかし人間のつくり出す秩序は決して永遠ではありません。
キリスト者の作家の三浦綾子さんが『道ありき』という自伝を書いておられます。三浦綾子さんは満17歳になる前に、小学校の教師になりました。熱心に勤めました。軍国教育の時代です。しかしやがて敗戦を迎える。アメリカ軍が進駐し、これまでの教育は誤りであったとされ、子どもたちに教科書を墨で塗らせた。絶望し、自分にはもう教壇に立つ資格はないと考え、教職を辞しました。
どれほどの絶望であり、どんなに深い虚無・虚脱であったのか、想像を絶します。人間の建てた秩序は、その正義がどれほど絶対的に正しいと思われたものであったとしてもやがて崩れてしまいます。正しいと思っていたものも悪とされるし、悪と軽蔑されていたものが実は正しかったとされることもあります。人間の営みは空しいものです。
しかし、神の建てる秩序は人間のものとは違います。神の正義は永遠です。だから私たちは天を見上げます。そこから来られるキリストを待ち望みます。正義も正しい裁きも、神とその御子とにあると私たちは信じています。私たちは移ろうし、不確かだし、相対的な存在に過ぎない。ですから、神の御前にへりくだりましょう。神を畏れて身をかがめましょう。私たちを虚無や虚脱、悪と罪と死の力から救いだしてくださるキリストを待ち望みましょう。