2025年7月14日月曜日

2025年7月14日の聖句

あなたが造った神々はどこにいるのか。災難に遭ったとき、あなたを救えるのなら。(エレミヤ2:28)
私の愛する人たち、偶像礼拝を避けなさい。(1コリント10:14)

偶像礼拝。それは、私たちの願望が造り出す神への礼拝です。偶像の神は私たちの願いの奴隷です。ですから何らかの目に見える像があるかないかということよりももっと大きな問題があるのではないでしょうか。私たちの主人は私自身や私の願望なのか、あるいはまことの神なのか。それが本当に問われていることだと思います。
それでは、私たちが何らかのことを神に願ったり、助けてくださいと祈ったりするのはいけないことなのでしょうか。自分の願いを神さまに祈ったら偶像礼拝ということになってしまうのでしょうか。
今日の御言葉はこのように語りかけています。「あなたが造った神々はどこにいるのか。災難に遭ったとき、あなたを救えるのなら。」ここで言われているのは、結局偶像にはあなたを救う力はない、ということではないでしょうか。偶像は人間の造ったものに過ぎない。本当に私たちを救う力があるのは、主なる神さまに他ならない。まことの神こそが私たちを災難から救うことがおできになる。
私たちは、苦しいときや悲しいとき、辛いときに神さまに祈ることが許されています。神さまは私たちの祈りを待っていてくださいます。私たちの神さまは私たちをご自分の目の瞳のように愛してくださっています。だから、私たちはこのお方に祈る。確かに私たちは時に間違ってしまうかもしれないし、神さまを偶像扱いしてしまう過ちも犯してしまうかもしれない。しかし、真の神さまは私たちの願い以上のことをすることがおできになります。私たちが考えている以上に素晴らしい救いを私たちに与えることがおできになる方です。だからそのことを信じ、神を信頼しましょう。安心して祈りましょう。私たちの小さな願いよりもずっと大きな神さまを信頼して、わが身をも神に委ねてしまいましょう。

2025年7月14日の聖句

あなたが造った神々はどこにいるのか。災難に遭ったとき、あなたを救えるのなら。(エレミヤ2:28) 私の愛する人たち、偶像礼拝を避けなさい。(1コリント10:14) 偶像礼拝。それは、私たちの願望が造り出す神への礼拝です。偶像の神は私たちの願いの奴隷です。ですから何らかの目に見える...