2025年7月7日月曜日

2025年7月7日の聖句

私たちが低くされていたとき、抑圧されていたとき、主は私たちのことを思い浮かべてくださった。なぜならその慈しみは永遠だからです。(詩編136:23)
私はこの福音のための使者として鎖につながれていますが、私が口を開くときに言葉が与えられ、堂々と福音の秘儀を知らせることができるように、私のために祈ってください。(エフェソ6:19~20)

エフェソの信徒への手紙は使徒パウロの手紙ですが、獄中書簡と呼ばれる手紙の一つで、パウロが牢獄に捕らわれているときにしたためられたものです。「私はこの福音のための使者として鎖につながれています」。しかしそのようなときであってもパウロが願っていたのはただ一つのことでした。「私が口を開くときに言葉が与えられ、堂々と福音の秘儀を知らせることができるように、私のために祈ってください。」例え牢獄にいようとも、他のどこにいようとも、パウロは福音の秘儀を知らせることができるように、主イエス・キリストの福音を証しする者となれるようにという一つのことを願い、そのために生きていました。
キリストの福音。それは「私たちが低くされていたとき、抑圧されていたとき、主は私たちのことを思い浮かべてくださった。なぜならその慈しみは永遠だからです」とあるとおり、私たちがどのような状態にあり、私たちがどのような者であったとしても私たちへの慈しみを示してくださる神の愛のことです。私たちを生かしてくださっている神の愛です。
パウロと同じように、私たちも神の愛によって生かされています。この福音を証しする証し人として、神は私たちをこの世界へ遣わしておられます。私たちがどこにいても、何をしていても、強い日にも弱い日にも、キリストの愛が私たちを生かしてくださっている。その一事に生かされ、またこの喜びを証しする一日でありますように。

2025年7月13日の聖句

今週の聖句: 互いに重荷を担いなさい。そうすればキリストの律法を全うすることになります。(ガラテヤ6:2) 今日の聖句: 主よ、夜には心からあなたを慕い求め、朝には私の霊をもってあなたを捜し求めます。(イザヤ26:9) 朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、寂しい所へ出て行き、そ...