2014年7月27日日曜日

使徒言行録10:1-48「神は人を分け隔てなさらない」

私に牧師としての指導をしてくださっている加藤常昭先生が先週メールをくださいました。奥様のお具合が良くないという内容です。メールの結びに「御言葉に飢え渇いています」と書かれていました。私は牧師として、聖書の御言葉の説教をする者として、先生に指導して頂いています。何ができるか考え、私がした説教の原稿をお送りすることにしました。昨日、他の塾生の牧師も同じように投稿しておられました。イエス・キリストの御言葉こそが慰めであり救いであると信じてのことです。コルネリウスとその家族にペトロが語ったのは主イエス・キリストのことです。「神がイエス・キリストによって−この方こそ、すべての人の主です−平和を告げ知らせて、イスラエルの子らに送ってくださった御言葉を、あなたがたはご存知でしょう」とペトロは言いました。御言葉というのは主イエスのことです。キリストが十字架にかかり、復活させられた。このキリストと共に神が働いておられた。ペトロはその事だけを語りました。これこそ我らの救いと信じているからです。先日私が投稿した説教は、先月、私が待った伝道教会に伺ったときにした説教です。マルコ1:9〜20から、「神の国は近づいた」と題していたしました。主イエスが荒れ野に送り込まれたように、私たちにも荒れ野を生きるときがあります。しかし、主イエスは、そんな私たちにおっしゃいます。「時は満ち、神の国は近づいた。」このキリストの宣言に促されて、信仰を持つ人、教会に導かれる人が起こされます。ここに神の国が来ているからです。キリストが何をおっしゃったのか、キリストが何をなさったのか、それこそ、私たちにとってのかけがえのない慰めなのです。この方は「人を分け隔てなさらない(34節)」方です。誰もが蔑む徴税人や皆に差別されていた罪人と共に食卓についた方です。「悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある」とおっしゃった方です。キリストの御言葉に聞き、この方の生涯に学ぶならば、イエスを信じる者はだれでもその名によって罪の赦しが受けられることを知ります。これは、勿論、コルネリウスというキリストを知らなかったであろう異邦人の回心物語でもありますが、ペトロの回心物語でもあります。ペトロも、ここで新しく、キリストがくださった福音のなんたるかを知ったのです。自分が思っていたよりも広くて深い神の愛を。十字架にかかり復活させられたキリストが、あなたを救ってくださいます。

詩編第126編「思いもしない偉大な業」

この詩編はバビロン捕囚からの解放を背景としているのだろう。圧倒的な異国の力に押しつぶされ、解放など考えられもしなかった。しかし「主がシオンの捕らわれ人を連れ帰られると聞いて、私たちは夢を見ている人のようになった。」神の御業は我らの思いを遙かに超...