2017年4月9日日曜日
イザヤ書第52章13節から第53章12節「見よ、我らを救う神を」
ヘンデルが作曲した名曲「メサイア」は「慰めよ、わたしの民を慰めよ」というイザヤ書第40章の言葉から始まります。私たちの慰めは一体何でしょうか?どうしたら私たちは慰められるのでしょう。一週間、いろいろなことがあり、心が揺れました。今週は特にニュースにも心を痛めています。シリアで起こったできごとです。どうしてこのようなことが起こるのか、神は一体何をしておられるのか・・・。ヘンデルがメサイアの中で描くのは、ひたすらキリストのお姿です。イエスが生まれ、十字架にかけられて死に、復活させられた。それが真実な慰めだと信じていたに違いない。ですから、私たちもすがる思いでキリストのお姿を仰ぎたいのです。そういう思いをもって私が辿ってきた「信仰」ということを考えると、私がキリスト者として自覚を持って生き始めた最初の時に指導してくださった方から何度も教えられたのは、罪の赦しということです。私は本当は赦されるはずのない罪人。その私を神は赦してくださった。その一事に尽きる。その意味で今日の聖書の言葉は決定的です。「彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っている。」「彼が担ったのは私たちの病、彼が負ったのは私たちの痛みであったのに、私たちは思っていた。神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだ、と。」病気の人の世話をするのは大変なことです。家族でも大変です。家族だからこそ大変です。仕事であっても大変なことだと思います。プロとして看病や介護をしていても、心底疲れることもあるでしょう。「私たちの痛み」という言葉もあります。痛んでいるところから飛び出してくるのは膿です。体の膿も心の膿も、飛びだしたものを浴びせられたらたまったものではない。主イエスはそういう重荷を負ってくださったのです。「私たちは羊の群れ、道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。」自分が迷子になった時のことを思い出します。小学校の大体四年生くらいのことでしたが、連れて来てくれた大人に断りなく一人で勝手に電車に乗って、自宅まで帰ってしまったことがありました。後で親にめちゃくちゃ怒られました。でも、一人で電車に乗っているときは楽しかったのです。自分にはまったく自覚がなくて、全然分かっていないけれど、神がご覧になったときに、私は一体どういう姿に映っているのでしょう。そこでも、やはり主イエスの姿を見る必要があります。「捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。」どのように裁かれたのか?ヨハネによる福音書19:1-16にイエスの裁判の様子が記録されています。この時の裁判官を務めたピラトにはイエスに罪を見いだすことはできませんでした。しかし、皆が「十字架につけろ」と叫んでいる声に負けて、イエスを十字架につけるためにユダヤ人に引き渡してしまいました。そうやってまるでほふり場に連れて行かれる小羊のように黙って裁かれ、殺されていくイエスは、迷子の自覚のない私が本当は何者なのかをあぶり出します。私は裁き主なのです。まるで神様のように人を裁く。そこに私の罪がある。しかし、私たちの罪がどんなに深くても、私はイエスの苦しみの実りと信じてよい。イエスは裁かれる方として私たちの前におられます。キリストは力ある方としてではなく、無力で惨めな十字架にかかる方として神でいらっしゃいます。キリストは毒ガスで殺される者の神です。そして、惨めな罪人の神でいてくださるのです。
2025年7月12日の聖句
主はこう言われる。私は恵みの時にあなたに応え、救いの日にあなたを助けた。(イザヤ49:8) 今こそ待望していた時、今こそ救いの日。(2コリント6:2) 今こそ、と今日の新約聖書の御言葉は言います。「今こそ」です。救いの日は、もう私たちのところへ訪れています。今日、この御言葉を聞い...
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さがみ野教会の皆さま おはようございます。 気持ちのいい、爽やかな秋空の朝を迎えました。お変わりなくお過ごしでしょうか。 明日14日の日曜日の礼拝は成長感謝礼拝(子ども祝福式)です。 讃美歌や説教などが子ども向けのものとなり、大人と子どもとが共に神さまを礼拝し、子どもたちへの祝福...
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神によって私たちは力を振るいます。(詩編60:14) きょうだいたち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を、神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。(ローマ12:1) 今日の二つの御言葉がいっしょに掲げられているというのは本当に面白いなと思います。神によっ...
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仲間に向かって平和を口にするが心には悪意を抱いている「神に逆らう者」いる。しかし、私は主を呼び求めます、と告白する。「至聖所に向かって手を上げ、あなたに救いを求めて叫びます。」新約の信仰に生きる者にとって、この至聖所はキリストがおられる「恵みの座」であり、我らは大胆にもそこに近...