「朝早く起き、夜おそく休み、焦慮してパンを食べる人よ、それは、むなしいことではないか。主は愛する者に眠りをお与えになるのだから。」ドキッとする詩編だ。眠らないことは、既に罪なのではないか。主に委ねることができないという意味に於いて。無論、この詩編の時代と現代は社会構造が異なる。しかし、根本においては主が建ててくださるからこそ家を建てる者の労苦にも意味がある。家族を守ることも主の御手の中で意味を持つ。
2024年3月19日の聖句
逃れ場は、いにしえからおられる神のもとにある。(申命記33:27) 心を騒がせてはならない。神を信じ、また私を信じなさい。私の父の家には住まいがたくさんある。(ヨハネ14:1~2) 主イエス・キリストが私たちのための住まいを父の家に準備してくださっています。「逃れ場は、いにしえか...
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主イエス・キリストが、安息日になるといつものように会堂に入り、聖書を朗読なさいます。これだけでもう慰め深い言葉です。私たちは今主がそうなさったのと同じように、私たちの安息日である主の日、日曜日に教会堂に集まって礼拝を献げています。今日、ここに来られな...
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今日の通読箇所:ルカによる福音書7:24~50、ヨシュア記1 8、詩編124~125 ヨシュア記18; 「あなたがたの先祖の神、主が与えられた地に入り、所有するのを いつまでためらっているのか(3節)」。すでにイスラエルの五つ の部族には所有地が割り当てられましたが、 まだ...
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今日の通読箇所:テモテへの手紙二2、イザヤ書60~62 イザヤ書60~62; 主イエス・キリストが安息日に会堂に入り、そこで聖書を朗読し、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した(ルカ4:21)」と宣言されたことがあります。その時に主イエスが朗読された...