「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」という祈りを主イエスが教えてくださった。私たちの毎日の食事に代表される生活のすべては、主イエスにとってどうでもいいものではない。信仰生活は具体的な毎日の暮らしだ。「あなたの手が労して得たもの」や「妻」、「食卓を囲む子ら」、これらもすべて神は覚えていてくださる。このような毎日のささやかな暮らしへの祝福を私たちも祈って良い。卑近な祈りという必要はない。生活の中で信じよう。
2025年10月31日の聖句
あなたがたはなぜ、私と争うのか。 あなたがたは皆、私に背いたーー主の仰せ。(エレミヤ2:29) 人は皆、罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっていますが、イエス・キリストによる贖いの業を通して、神の恵みにより価なしに義とされるのです。(ローマ3:23,24) 今日10月31日...
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1. ヨハネによる福音書は最後の晩餐の場面をとても長く書いている。全部で21章の福音書の内の5章、4分の一に近い。しかも、いわゆる受難週の記事の殆どがこの晩餐の場面だ。その最後の晩餐を覚える祈祷会をこの木曜日に献げている。キリストがしてくださったように私たちもするのだ。主が...
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さがみ野教会の皆さま おはようございます。 気持ちのいい、爽やかな秋空の朝を迎えました。お変わりなくお過ごしでしょうか。 明日14日の日曜日の礼拝は成長感謝礼拝(子ども祝福式)です。 讃美歌や説教などが子ども向けのものとなり、大人と子どもとが共に神さまを礼拝し、子どもたちへの祝福...
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(主の言葉)恐れるな、アブラムよ。私はあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。(創世記15:1) こうして、アブラハムは忍耐の末に、約束のものを得ました。(ヘブライ6:15) 「恐れるな。」神さまは私たちに語りかけてくださいます。「恐れるな!」 しかも、もったいないこ...