今日の通読箇所:ルカによる福音書23:1~25、サムエル記上22~23、ヨブ記9
サムエル記上22~23;
サウルのダビデへの憎しみがますます激しく燃え上がります。自分の周りにいる同族ベニヤミンの者たちには、ダビデはいずれお前たちを冷遇するに違いないと言ってその心を取り込もうとします。あるいは、かつてダビデを助けてくれた祭司アヒメレクは、サウルがダビデを憎み、ダビデが逃亡中であったことを知らなかったのにもかかわらず、ダビデの逃亡幇助のかどで殺してしまいました。
アヒメレクを殺したことは、サウルのしたことの中でも、特別な意味を持っていると思います。アヒメレクは祭司でした。祭司は、主に油を注がれて就く特別なつとめです。出エジプトから、荒れ野での生活、そこで律法が与えられて祭司のつとめが定められ、主の幕屋のために仕える祭司のありかたを見てきた私たちには、その働きの大切さがよく分かります。主に仕える人、しかも油注がれて神のもとされた人。そんな人物を、サウルは、自分の憎しみのために殺してしまったのです。
これに対し、ダビデはサウルと戦わずにひたすら逃げました。あるときには、イスラエルにとっては宿敵とも言えるモアブに逃れます。あるいは、逃亡中にユダの町ケイラがペリシテの手に落ちそうだと知れば、ケイラを救いに行きました。自分の命の危険は顧みなかった。しかしサウルはそれを知り、そこに攻め寄せます。サウルは言います。「神はダビデを見放して、私の手に渡された(23:7)」。しかし、真実はそうではありません。「サウルは絶え間なくダビデを狙ったが、神はダビデを彼の手に渡さなかった(14節)」のです。ダビデは常に神に道を尋ねながら生きていました。しかしサウルは自分の憎しみに駆られて生き、むしろ神様のお名前を好き勝手に騙ってみせていました。この二人の生き方は、好対照です。サウルはマオンの荒れ野というところで、ダビデをあと一歩のところまで追い詰めます。しかし、まさにこれからダビデを攻め滅ぼそうとしたときに、ペリシテが領地に攻め込んできたと知って、急いでそちらに行かざるをえなかった。神が、ダビデを守り通しておられるのです。
目に見える寄る辺は、圧倒的にサウルが優位です。立場も上、財力も兵力も政治力も、ありとあらゆる面でサウルが上です。ダビデは目に見える確かさを一つも持ちませんでしたが、ただ神のみを畏れ、神に従ったのです。
2024年4月20日の聖句
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