2019年6月26日水曜日

2019年6月26日(列王記上17〜18)

今日の通読箇所:使徒言行録17:1~15、列王記上17~18、ヨブ記38

列王記上17~18;
イスラエルの王アハブは「彼以前の誰よりも主の目に悪とされることを行(16:30)」いました。特に彼の妻イゼベルは、彼女の故国シドンから異教の神であるバアルをイスラエルにもたらし、アハブも、国の人々もこれにひれ伏して礼拝をしました。もう、主なる神様に従うものは誰も残っていない。これは、そういう時代の出来事です。
エリヤという預言者がたった一人だけ残っていました。「主の預言者としては、ただ私だけが一人残った(18:22)」。たった一人だけというのは、想像以上に辛いことです。アハブは信仰者としては最悪でしたが、政治家としては有能な人物であったようです。そんな時代に。一人で空気を読むこともなく主なる神に仕え、預言者として立つのが、エリヤという人です。
しかし、神様はエリヤを独りぼっちにはなさいませんでした。たびたび、エリヤに協力者を与えてくださいます。最初は、カラスでした。ケリト渓谷に身を隠した彼の所へ、カラスが朝にはパンと魚を、夕方にもパンと肉を運んできてくれた。次に、シドンのサレプタのやもめとその息子。この親子はエリヤになけなしの粉で作ったパンを与えてくれて、神はその信仰に応えて壺の粉がつきることはなかった。そして、アハブの宮廷長オバドヤは、実は大勢の主の預言者がアハブに殺されたとき、そのうちの100人をかくまっていたのです。神様はエリヤを独りぼっちにはなさらなかった。
しかし、今エリヤはたった独りで450人のバアルの預言者、400人のアシェラの預言者の前に立ちます。彼らと、対決をします。祭壇の上に置いた雄牛がある。それぞれの預言者の祈りに火をもって応える神こそまことの神。そう言って、まずはバアルの預言者たちが大声を張り上げ、剣や槍で自分の身を傷つけながら祈祷しました。ところが、バアルはその祈りに応えない。いや、応えられなかったというべきでしょう。そこでエリヤが主なる神に静かに祈ります。「お答えください、主よ、お答えください。そうすればこの民は、主よ、あなたが神であり、彼らの心を元に戻したのがあなたであることを知るでしょう(18:37)」。これに対し、主は天から火を下らせ、生け贄も薪も、すべてを火が嘗めつくしました。こうして彼はバアルの預言者に勝利を治めることができました。
神様にあって、彼は強く、また雄々しく立つことができたのです。少しずつ、イスラエルの人々が主こそ神であると信じ、神に立ち帰ることができるように。

2024年4月19日の聖句

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