今日の通読箇所:ガラテヤの信徒への手紙2、イザヤ書3~5
イザヤ書3~5;
神様をぶどう畑の主人、私たちをぶどう畑と譬えるぶどう畑の歌が第5章にあります。「彼は畑を掘り起こし、石を取り除き、良いぶどうを植えた。また、畑の中央に見張りのやぐらを建て、搾り場を掘った。彼は良いぶどうが実るのを待ち望んだ。しかし、実ったのは酸っぱいぶどうであった(5:2)」。丹精込めて世話した畑なのに、全く期待外れの実りでした。どうすることもできないこの実りを、一体どうしたら良いのか。役立たずです。
ぶどう畑の主人である神様は、この畑をどうするでしょうか。「さあ、エルサレムに住む人、ユダの人よ、私とぶどう畑の間を裁いてみよ。ぶどう畑に対してすべきことで、私がしなかったことがまだあるか。私は良いぶどうが実るのを待ち望んだのに、どうして酸っぱいぶどうが実ったのか(3,4節)」。私をご覧になったとき、神様は私をどのような実りだとお思いなのか。お前のためにすべきことで、私がしなかったことがまだあるか、なぜお前は酸っぱいぶどうなのかと問われたら、なんとお答えしたら良いのでしょう。
私たちには、自分で自分自身を救い得ません。酸っぱいぶどうの酸っぱさを救ってくださる方がいなければ、私たちは救われようがありません。
「その日には、主の若枝は麗しく、光り輝く。地の実りは、イスラエルの生き残った者にとって誇りと栄誉となる。こうして、シオンに残った者とイスラエルに残った者は、聖なる者と呼ばれる。・・・。主は、シオンの娘たちの汚れを荒い、裁きの霊と焼き尽くす霊によって、エルサレムの血をその内側から清める。主は、シオンの山の全域と、そこで行われる集会の上に、昼は雲を、夜は煙と燃える火の輝きを造る。それはまさにすべてを覆う栄光の天蓋、また仮庵となる。それは昼の暑さの陰となり、嵐と雨からの逃れ場、また隠れ家となる(4:2~6)」。私たちには、このような救いが必要です。神様がこうして救ってくださらなければ、どうして私たちが生きることができるでしょうか?ただただ、主イエス・キリストにすがるだけです。
イザヤ書3~5;
神様をぶどう畑の主人、私たちをぶどう畑と譬えるぶどう畑の歌が第5章にあります。「彼は畑を掘り起こし、石を取り除き、良いぶどうを植えた。また、畑の中央に見張りのやぐらを建て、搾り場を掘った。彼は良いぶどうが実るのを待ち望んだ。しかし、実ったのは酸っぱいぶどうであった(5:2)」。丹精込めて世話した畑なのに、全く期待外れの実りでした。どうすることもできないこの実りを、一体どうしたら良いのか。役立たずです。
ぶどう畑の主人である神様は、この畑をどうするでしょうか。「さあ、エルサレムに住む人、ユダの人よ、私とぶどう畑の間を裁いてみよ。ぶどう畑に対してすべきことで、私がしなかったことがまだあるか。私は良いぶどうが実るのを待ち望んだのに、どうして酸っぱいぶどうが実ったのか(3,4節)」。私をご覧になったとき、神様は私をどのような実りだとお思いなのか。お前のためにすべきことで、私がしなかったことがまだあるか、なぜお前は酸っぱいぶどうなのかと問われたら、なんとお答えしたら良いのでしょう。
私たちには、自分で自分自身を救い得ません。酸っぱいぶどうの酸っぱさを救ってくださる方がいなければ、私たちは救われようがありません。
「その日には、主の若枝は麗しく、光り輝く。地の実りは、イスラエルの生き残った者にとって誇りと栄誉となる。こうして、シオンに残った者とイスラエルに残った者は、聖なる者と呼ばれる。・・・。主は、シオンの娘たちの汚れを荒い、裁きの霊と焼き尽くす霊によって、エルサレムの血をその内側から清める。主は、シオンの山の全域と、そこで行われる集会の上に、昼は雲を、夜は煙と燃える火の輝きを造る。それはまさにすべてを覆う栄光の天蓋、また仮庵となる。それは昼の暑さの陰となり、嵐と雨からの逃れ場、また隠れ家となる(4:2~6)」。私たちには、このような救いが必要です。神様がこうして救ってくださらなければ、どうして私たちが生きることができるでしょうか?ただただ、主イエス・キリストにすがるだけです。