2019年12月14日土曜日

2019年12月14日(オバデヤ書)

今日の通読箇所:ヨハネの黙示録14、オバデヤ書

オバデヤ書;
このオバデヤ書は僅か一章しかない、とても短い預言書です。語られている相手はイスラエルの人々ではありません。「主なる神はエドムについてこう言われる」(1節)と言われています。エドム人というのは、イサクの子、ヤコブの双子の兄であるエサウの子孫のことです。エサウは自分の調子としての権利を、赤い魔物に者と引き換えにヤコブに譲ってしまいました。「赤い」のヘブル語が「エドム」なので、彼はエドムとも呼ばれた。エドム人はその子孫です。ですから、エドムはアブラハムの子、イサクの子です。ヤコブは別名をイスラエルと言いました。従って、イスラエルの兄弟がエドム、イスラエル人の兄弟がエドム人ということになります。
このオバデヤ書は、イスラエル人に向けて語られた言葉ではありませんが、その兄弟であるエドム人に向けられた言葉です。
「主の日はすべての国に近づいている。あなたが行ったように、あなたにも行われる。自分の報いは頭上に帰る」(15節)。すべての国に近づく主の日、裁きの日は、エドムにも近づいている。自分たちがしたことに応じて裁きが下される。それでは、エドムが行ってきたこととは一体何か。
「兄弟が不幸に見舞われる日、あなたはただ眺めていてはならない。ユダの人々の滅びの日、あなたは喜んではならない。苦難の日、大口を叩いてはならない」(12節)。エドムの罪は、ユダの滅亡の日に喜び、彼らの滅びを願っていたことだ、と言うのです。なぜなら、彼らは、エドムにとっての兄弟だから。
主イエスは言われます。「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、私は言っておく。きょうだいに腹を立てる者は誰でも裁きを受ける。きょうだいに『馬鹿』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、ゲヘナの火に投げ込まれる」(マタイ5:22)。隣人を宿敵とみるか、きょうだいと見るかによって、世界は変わります。エドムとイスラエルは、政治的に考えれば宿敵です。お互いが目の上のたんこぶであり、いなければいい相手です。ところが、神様に立ち帰った時、そこにいるのは兄弟に他なりません。そうであるならば、主は、すぐに彼と和解しなさいと言われるのです。
蛇足かも知れませんが、最後に一言。オバデヤ書は最後にイスラエルの回復を預言し、エドムへの裁きを宣告します。これだけを取り出してみると甚だナショナリスティックで、オバデヤはイスラエルの繁栄だけを願っているようにも見えます。しかし、不思議なことに、聖書の文脈の中で新しい光を放っているのではないでしょうか。エドムは、イスラエルの兄弟です。そして、さらに興味深いことは、明日読むことになっているヨナ書が、偏屈な自国第一主義を打ち破るメッセージをも持っていることです。そう思うと、聖書の不思議に圧倒されます。

2024年5月20日の聖句

主である私はその番人。絶えずぶどうに水をやり、畑が荒らされないように、夜も昼も守っている。(イザヤ27:3) 神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えてくださいます。(1コリント10:13) 夜も昼も畑が...