2020年1月10日金曜日

2020年1月9日(マタイによる福音書8:18〜34)

マタイによる福音書8:18~34;
主イエスの権威を示すエピソードが、昨日に引き続きここに登場しています。主イエスと弟子たちの乗った舟が、湖上で激しい嵐に遭った。イエスは寝ておられましたが、弟子たちがイエスを起こし、イエスは嵐を鎮めてくださいました。
聖書では、海や湖はしばしば死や滅びの象徴として登場してきます。湖の上で嵐に遭っていた。しかし、主は寝ておられます。そこにいてくださるはずなのに、いるのかいないのかよく分からない、ただ寝ているだけ、いないのと同じ・・・といった状況です。マタイがこの出来事を福音書に書いたとき、私は、マタイや教会がさらされていた現実をもこの物語に描き混んでいるのではないかと思います。戦争や迫害という死が支配する世界の中、主に呼んでも主は応えてくださらない。死んでよみがえられたはずなのに、主はまだ寝ておられるのか?本当は死んだままなのではないか。彼らは疑ったのでしょう。主はそれを御覧になって、「信仰の薄い者たち」と言われます。本当に寝ていたのは主イエスではなく、弟子たちの信仰です。マタイは、死や迫害の嵐に苦しむ教会に、信仰を取り戻そうと呼びかけます。湖も、風も支配するキリストの権威を信じよう、と。
さらに舟が行き着いた向こう岸、ガダラ人の地方では、悪霊に取りつかれていた人を癒やしてくださいました。豚に乗り移った悪霊は湖になだれ込んで溺れてしまいます。時代の精神になってたくさんの人に取りつき、滅びへと突き進んでいく、そういう悪霊の姿を思わされます。これに対しても、キリストは権威をもって振る舞われます。
ところが、そんな主イエスをガダラ人は受け入れませんでした。悪れにに取りつかれていた人が癒やされた経緯を知ると、「町中の者がイエスに会いに来出てきた。そして、イエスに会うと、その地方から出ていってもらいたいと言った。」悪霊はキリストの権威に従いましたが、人々はそれを拒みました。
だから、キリストにも、キリストの弟子にも、枕するところさえなくなります。「イエスは言われた。『狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない』。」こうして、キリストの御言葉の権威、福音の言葉、私たちを死や悪霊から解放する言葉が語られるまさにその場所で、私たちの罪が明らかになるのです。しかしそこで明らかになった罪は、キリストの権威ある言葉によってすでに赦された罪に他ならないのです。

2024年4月24日の聖句

恐れるな、もはや恥を受けることはないから。(イザヤ54:4) 天使は女たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」(マタイ28:5~6) 「あの方は、ここにはおられない。」最初のイースターの朝...