2020年2月17日月曜日

2020年2月17日(ローマの信徒への手紙8:1〜17)

ローマの信徒への手紙8:1~17;
「あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、子としてくださる霊を受けたのです。この霊によって私たちは、『アッバ、父よ』と呼ぶのです。この霊こそが、私たちが神の子どもであることを、私たちの霊と一緒に証ししてくださいます。」
主イエス・キリストは、私たちに祈りを教えてくださいました。「天にまします我らの父よ」と祈ることを。私たちは、神を「父よ」と呼びます。主イエス様の口まねをして!主イエスと同じように、神に向かって、大胆にも「父よ」とお呼びしているのです。
しかも、「アッバ」です。喃語から生まれた言葉です。赤ちゃんが言葉にもならないような言葉で父を呼んでいる、そこから生まれた父の呼び名が「アッバ」。主イエスは、かしこまって祈るのではなく、言葉もしゃべれない赤ちゃんが父親を呼ぶように「父」と呼んで祈ることを教えてくださいました。私たちは、神様を「父」と呼んでよいのです。
神様を「父」と呼ぶと言うことは、すなわち、私たちは子どもだということです。そのことについて、続けてこのように言います。「子どもであれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら、共に栄光を受けるからです。」私たちは、それぞれに与えられた人生の旅路を歩み、それぞれの苦しみをも負っています。しかも、自分のために苦しむということだけではなく、隣人のために共に苦しむという恵みにもあずかっています。隣人のための苦しみは、キリストと共なる苦しみです。キリストと共に苦しむ者を、神は、キリストと共なる相続人としてくださると言います。私たちは信仰によって福音を受け継ぎ、神の霊によって命を相続するのです。
私たちにとって、イエス・キリストがすべてです。昨日の礼拝で、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」という御言葉を聞きました。その独り子をお与えになったほどに、この「ほどに」という言葉が、鍵です。私たちは独り子を与えてくださったという事実だけに神の愛を見ます。他の場所ではありません。そして、神が私たちに独り子を与えてくださったという事実は、私たちが「父よ」と祈ることができたということからも、明らかなことなのです。

2024年4月25日の聖句

救いは主のもの。 あなたの民の上に祝福を。(詩編3:9) イエスは手を上げて彼らを祝福された。(ルカ24:50) 主イエス・キリストは復活して40日間弟子たちと共におられ、その後、天に昇って行かれました。その時、主イエスは手を上げて弟子たちを祝福し、その恰好のままで天に上げられて...