2020年2月19日水曜日

2020年2月19日(ローマの信徒への手紙9:1〜18)

ローマの信徒への手紙9;
「私はキリストにあって真実を語り、偽りは言いません。私の良心も聖霊によって証ししているとおり、私には深い悲しみがあり、心には絶え間ない痛みがあります。私自身、きょうだいたち、つまり肉による同胞のためなら、キリストから離され、呪われた者となってもよいとさえ思っています。」
自分と同じユダヤ人のためのパウロの深い悲しみは、私たちの心にも迫るものがあります。私たちは、私たちの肉による同胞のために、この悲しみを抱いているでしょうか。パウロは、ユダヤ人たちがキリストに背き、神の真実を無下にし、キリストに示された神の愛を足蹴にしている現実に直面していました。キリストの愛から遠く離れているユダヤ人を、怒ったり裁いたりするのではなく、悲しみ、彼らのためであれば自分の身が神の呪いとなってもよいとさえ言います。これはキリストの思いそのものです。
日本は、日本人は、今、一体どのようなことになってしまっているのか。そのしるしは社会の至る所に現れています。国家権力は私物化され、役人は自己保身のために忖度レースにいそしみ、テレビをつければ現実離れした「日本スゴイ」の声に満ちています。これは政治のせいではありません。例え別の政府に変わったとしても、問題の根は変わりません。日本スゴイも政治の私物化も、巷のヘイトも、可視化した症状に過ぎないのであって根本問題ではないからです。この社会を構成する私たち自身が、ここ数十年無かったほどの重い病気になっているとしか言いようがないのではないでしょうか。
パウロは、この社会を見て悲しむと思います。裁くのではなく、悲しむと思います。そして、真実に、キリストの福音が必要であることに重い責任を感じたことでしょう。今、その責任を負っているのは私たちです。今の時代に本当に必要なものは、まやかしの「日本スゴイ神話」ではなく、主イエス・キリストの福音です。
神様は、生まれる前からすでにエサウではなくヤコブを選んでおられた、と言います。「これは、人の意志や努力ではなく、神の憐れみによるのです。」エサウは長男なので、肉に従えば選ばれるべき正当性があるのはエサウです。ヤコブには何の正当性も理由も根拠もない。しかし、何の理由も根拠もなく、人間的に見ればふさわしくもなく、性格も悪いヤコブが選ばれました。ただ神の恵みのみによって。この値ない者への神の恵みこそ、今この社会に本当に必要なものです。あなたのことも、神は愛している。神の恵みによって、あなたも救われている。そのようにして伝道する教会を、神様は、今この世界に求めておられるのではないでしょうか。

2024年4月26日の聖句

神を畏れ、その戒めを守れ。これこそ人間のすべてである。(コヘレト12:13) (イエスの言葉)「第一の戒めは、これである。『聞け、イスラエルよ。私たちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の戒めは...