2020年3月17日火曜日

2020年3月17日(マルコによる福音書1:21〜45)

マルコによる福音書1:21~45;
「一行はカファルナウムに着いた。そして安息日にすぐ、イエスは会堂に入って教えられた。人々はその教えに驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者のようにお教えになったからである。」
主イエスがカファルナウムでなさったことを伝えています。そこでのイエスの教えは、律法学者のようなものではなく、権威ある者のように教えておられた、と言います。律法学者は、ただ病気についての説明をする医者のような教えだったのだろうと思います。名医は病気についての説明をするだけではなく、更に、実際に患者を治します。主は権威ある者として福音を宣言し、それを聞いた人々は神の国を生き始めたのでした。
具体的に主イエスのカファルナウムでの活動として伝えられているのは、汚れた霊との戦いです。会堂にいた男に取りついていた汚れた霊はイエスに言います。「ナザレのイエス、構わないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」あるいは、シモンの家では、人々が病人や汚れた霊に取り憑かれた者を連れてきました。「イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちを癒やし、多くの悪霊を追い出して、悪霊にものをいうことをお許しにならなかった。悪霊がイエスを知っていたからである。」主イエスは病に苦しむ者を救い、悪霊に支配された人はそこから解放してくださったのでした。そのようにして、主イエスが権威をもって告げた神の国が、イエスとで会った人々の間に到来したのです。
日曜日の説教でご紹介したルターの手紙はペスト対策に悩む牧師に宛てられたものでしたが、ルターはペストという病そのものよりもそれへの恐れ、死への不安にのみ込まれてしまうところに悪霊の支配を見ていました。悪霊に対抗するためには、先ず何より悪霊との戦いであることを自覚することが肝要と説きます。そして、詩編41を引用します。「幸いな者、弱い者を思いやる人は。災いの日に、主はその人を救い出してくださる。」貧しい人、困窮している人に手を差し伸べるなら、それが悪霊への攻撃になるとルターは言います。それは、そのような愛の手が、神の国到来の証しだからです。神の国がここにもあることを信じる隣人への愛の手は、イエスの悪霊との戦いに参戦するのです。
そして、イエスは更に進んで行かれます。「『近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、私は宣教する。私はそのために出てきたのである。』そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された。」主イエスは、今日も私たちを悪霊の支配から解放し、神の国に生かすために戦っておられます。

2024年4月19日の聖句

ノアは、すべて神が命じられたとおりに果たした。(創世記6:22) (イエスの言葉)「私のこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。」(マタイ7:24) 風水害や地震などの自然災害の多い場所に住んでいると、今日の主イエスの言葉はよく分かります。「岩の...