2020年5月17日日曜日

2020年5月17日(ルカによる福音書16)

ルカによる福音書16
「そこで、私は言っておくが、不正の富で友達を作りなさい。そうすれば、富がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。」
主イエスの言葉の中でも一,二を争うほどに衝撃的というか、戸惑ってしまう言葉です。もともとは譬え話です。ある金持ちに仕えていた管理人が主人の財産を勝手に無駄づかいしていた。それがバレてしまって、クビを告げられます。そこで彼は主人に借金をしていた者たちを呼びつけ、これまた勝手にその借り入れを棒引きしてやりました。そうすれば、自分が失業したときに助けてくれるだろうと算段したのです。主人は、彼の抜け目ないやり方を知って彼を褒めた、という話です。
この物語を読むポイントは「主人は、この不正な管理人の賢いやり方を褒めた。この世の子らは光の子らよりも、自分の仲間に対して賢く振る舞っているからだ」という言葉であると思います。光の子らというのは、神を信じている者たちのことであろうと思います。この世の子ら、つまり神を信じていない者たちの方が、この世で賢く生きている。それに学んで賢く生きたらいい、ということになります。
キリスト者は、この世で生きています。神様を信じたら経済活動をしない、お金のような汚れたものを遠ざける、などということはありえません。この世で仕事をし、この世のお金を持たなければ生きて行かれない。山奥での自給自足の暮らしなどは非現実的ですし、キリストに与えられた使命に生きることも却って難しくなります。私たちは、この世で生きるキリスト者、光の子です。この世の富は、確かに不正にまみれているかも知れません。しかしその富に忠実であるべきだと主は言われます。それを賢く用いるように、と主は言われる。賢く用いて何をするのか?友を作るのです。自分が困ったときに助けてくれるような友を作る。お金はそのために使ったらいいと主は言われます。
それは、結局、自分の損得 を超えたお金の使い方です。自分が不利になったときに自分を助けてくれるような友を作るには、自分のその場での損得勘定を超えた使い方をしなければなりません。そのことが分かるのが19節以下のもう一つの譬えです。ある金持ちと、彼の家の前で死んだラザロという貧しい男の話です。死んだ後、ラザロは天の食卓に着き、金持ちは裁かれました。金持ちは、ラザロのためにはお金を使わなかったのです。その意味で、彼はあの不正な管理人とは違いました。託された金を自分のためだけに使った。その結果、彼はラザロという友を獲得することができませんでした。
今日のこの御言葉は、私たちにお金の使い方を伝えています。お金の使い方には私たちの価値観がもろに現れます。誰のために、何のためにお金を使うのか?他者のために、自分の目先の損得を超えて、私たちは与えられたものを活用しているのでしょうか?

2020年5月30日(ルカによる福音書23:26~55)

ルカによる福音書23:26~55 そして、「イエスよ、あなたが御国へ行かれるときには、私を思い出してください」と言った。するとイエスは、「よく言っておくが、あなたは今日私と一緒に楽園にいる」と言われた。 イエスが十字架にかけられたとき、右と左にも十字架が立てられ、それぞれに犯罪人...