2020年5月22日金曜日

2020年5月22日(ルカによる福音書19:28〜47)

ルカによる福音書19:28~47
いよいよオリーブ山の坂にさしかかられたとき、弟子の群れは皆喜んで、自分の見たあらゆる御力のことで、声高らかに神を賛美し始めた。「主の名によって来られる王に、祝福があるように。天には平和、いと高き所には栄光があるように。」fすると、ファリサイ派のある人々が、群衆の中からイエスに向かって、「先生、お弟子たちを叱ってください」と言った。イエスはお答えになった。「言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫ぶだろう。」

エルサレムに入城する主イエス、まだ誰も乗ったことのない子ろばにのっておられます。ルカが伝えるエルサレム入城の話は、主イエスのために喜び、賛美の声を上げるのは、弟子の群れです。12人や、それだけではなくもっと大勢の弟子なのでしょう。一緒にここまでやって来た主イエスの弟子たちがこぞって喜び、賛美の声を上げました。
それを聞いたファリサイ派の人たちは、不適切だからやめるようにとイエスに言います。弟子たちを叱ってくれ、と。これではまるでイエスが神の遣わした救い主のようではないか、とファリサイ派の人々は眉をひそめたのです。
しかし、イエスは答えて言います。「言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫ぶだろう。」いつの時代でも、主イエスのこの言葉は真実です。今、まだ、私たちは礼拝堂には集まれていません。しかし、主イエス・キリストの救いを賛美する賛美の歌声は、やんでしまったわけではありません。私たちは、今も、それぞれの場所で神を賛美しています。キリストを賛美し、喜んでいます。私たちが黙れば、石が叫び出すことでしょう。キリストを賛美する賛美の歌声がこの地上から止んでしまうことなどありえないのです。
その賛美はこのように言います。「主の名によってこられる王に、祝福があるように。天には平和、いと高き所には栄光があるように。」この言葉を聞けば思い出すのは、主イエスがお生まれになった夜、野宿をする羊飼いたちが聞いた天の大群の賛美です。「いと高き所には栄光、神にあれ。地には平和、御心に適う人にあれ。」あの賛美の声は、この晩だけでやんでしまったのではありません。このエルサレム入城の日にも響き続けています。今も響いています。主をお迎えするとき、いつでも私たちは同じように神を賛美します。私たちの今日一日が、主イエス・キリストを喜び、賛美する歩みでありますように。

2024年3月29日の聖句

ヤコブは、神が自分と語られた場所をベテル(神の家)と名付けた。(創世記35:15) 百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、自身やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「まことに、この人は神の子だった」と言った。(マタイ27:54) 神が自分と語られた場所をベテル(神の家...