2020年7月19日日曜日

2020年7月19日(マタイによる福音書22)

マタイによる福音書22
4世紀から5世紀頃にヨハネス・カッシアヌスというキリスト者がいました。この時代の信仰の指導者たちをしばしば教父と呼びますが、カッシアヌスもその一人として数えられます。マルセイユで男女それぞれの修道院をつくりました。修道院では祈りと労働に集中した生活を送ります。
カッシアヌスが、このような言葉を残しています。「それゆえに、すべてのことはそのために〔心の清さを求めて〕行われ求められなくてはならない。このために、断食、徹夜、労働、自己放棄、読書、そしてすべてその他の徳を追求しなければならないのである。これらによって私たちは私たちの心を準備することが可能となり、これらすべての邪悪な情熱から安全を保ち、そしてその愛の完成へとたどり着く階段にいることになるのである。(中略)このような二次的な事柄、つまり断食や徹夜や世を離れることや聖書の黙想などは、私たちの第一の目的のために、すなわち愛である心の清さを求めて実行されなければならないのである。」
カッシアヌスや彼と共にいた修道士たちは、厳しく己を戒め、断食や自己放棄をしながら祈りに打ち込んでいたのだろうと思います。しかし、彼は言います。そのような業はすべて二次的なことにすぎない。もしも第一のこと、つまり愛するという目的に向かって実行するのでなければ何の意味もない、と。
主イエスは律法の中でどの戒めよりも大切なものを問われ、お答えになりました。「心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」そしてこれと同じように大切なことは「隣人を自分のように愛しなさい」という戒めであるとおっしゃいました。
私たちの他のどんなに素晴らしい業も、他の人が理想とするような信仰深さも、愛することを失っては何の意味もありません。主イエスが私たちにお求めになる第一のことは愛することであり、第二のことも愛することです。神を愛し、隣人を愛すること。ここに主イエス・キリストの御心があります。私たちは、愛することへと招かれています。

2024年4月19日の聖句

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