2020年9月11日金曜日

2020年9月11日(コロサイの信徒への手紙1)

コロサイの信徒への手紙1
「神は御心のままに/満ちあふれるものを/余すところなく御子の内に宿らせ/その十字架の血によって平和を造り/地にあるものも/天にあるものも/万物を御子によって/ご自分と和解させてくださったのです。」
コロサイの信徒への手紙は、宇宙的なイメージの広がりを持つ手紙であると思います。スケールが大きく、読む者の目を目の前のいろいろな出来事から一度引き離して、世界をお造りになった神様の広さに向けさせる言葉であると思います。
「万物は御子によって、御子のために造られた」と言います。なぜ、私は命を与えられて存在しているのか、なぜこの世界があるのか。歴史の中で多くの人が問い、それぞれに何らかの答えを紡ぎ出してきた問い。その問いへの答えがここにあります。神が、この世界の万物を御子においてお造りになった。万物を御子のためにお造りになった。だから、この私も、この世界も、御子のために、御子に向かって造られた。それが聖書の答えです。そして、その御子というのは一体どこにいるのかというと、「御子はその体である教会の頭です」と言う。ここに教会が登場しています。この世界が御子によって造られた、御子のために造られた、その御子は教会という体の頭として、私たちの間におられると言う。驚くべき言葉です。
私たちの教会は、小さな群れです。特に今のような状況下ではそのことを痛感させられます。しかし、この町に教会があって神を礼拝し、キリストのお体がここにあるということの意味は決して小さくない。この世界が造られた秘密がここにあるのですから。
この身この内に、神は満ちあふれるばかりのご自分の神性を宿らせ、神様ご自身がこの世界で生きて働いておられることを証しなさいました。これもまたスケールの大きな話です。神の神性が教会というキリストのお体において明らかにされている。何を意味しているのか?教会に、神が和解の福音を託してくださったという事実によってそれが現実化しています。教会は、キリストにある和解を福音として宣べ伝えます。キリストが十字架にかけられ、血を流した。この血が、神が私たちのために流された和解のための血だった。
「分断」を痛感しないわけにいかない世の中になりました。経済格差、世代格差、性別、政治信条、国籍、イデオロギー、社会的立場、好み、・・・ありとあらゆることで私たちは分断され、あるいは他者を自分から切り離して隣人を失っています。和解の福音が私たちには必要です。キリストにあって、神が私たちと和解してくださった。この良き知らせをこの世界に証しするために、私たちはキリストのお体として、この世界に派遣されています。この宇宙をお造りになった方が、今日あなたを和解の使者として派遣しておられます。

2020年9月21日(テサロニケの信徒への手紙二3)

テサロニケの信徒への手紙二3 「どうか、平和の主ご自身が、いついかなるときにも、あなたがたに平和を与えてくださいますように。主があなたがた一同と共におられますように。 私パウロが、自分の手で挨拶を記します。これはどの手紙にも記す印で、私はこのように書きます。私たちの主イエス・キリ...