2020年9月10日木曜日

2020年9月10日(フィリピの信徒への手紙4)

フィリピの信徒への手紙4
「主にあっていつも喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。あなたがたの寛容な心をすべての人に知らせなさい。主は近いのです。何事も思い煩ってはなりません。どんな場合にも、感謝を込めて祈りと願いを献げ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超えた神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスにあって守るでしょう。」

主は近いのです!
これが私たちの生を規定する、喜びの源泉です。主は近い、主は近くにおられる。だから、私たちはどのようなときにも喜んで生きることができます。あらゆる苦難、悲しみ、困難の中にあっても、主は私たちの遠くにおられるのではない。むしろ、その艱難のかにこそ主はおられる。主がおられる場所を「天国」と言います。私たちは、もうすでに天の国に行き始めています。
主は近い!だから私たちは何事にも思い煩わされず、何者も恐れません。主が、私たちに向かって歩んできてくださっているから、主はすぐにも私のところに来てくださるから。あらゆる悪から、主が私たちを守ってくださいます。どのようなものも、キリストによって示された神の愛から私たちを奪い取ることはできないのです。
主は近い。それは、逆説的に言えば、まだ来ておられないということでもあります。ですので、「私は、すでにそれを得たというわけではなく、すでに完全な者となっているわけでもありません(3:12)」とも言っていました。だから、今はまだ悲しみがあり、失敗もあります。忍耐が必要です。しかし、主は近いのです。すぐ近くです。私たちはそのことを信じて、神が与えてくださる賞を受けるために、目標を目指してひたすら走ります。
信仰のマラソンランナーにとっての「走る」とは、祈り続けることです。神に感謝を献げ、祈りを捧げる。祈るとき、私たちは、実際的にキリスト者として生きることになります。今日、私たちは祈りをもって走りましょう。そうすれば、あらゆる知識を超えた神の平和によって、私たちは満たされることでしょう。私たちの今日のこの一日というちっぽけなものも、神のみ前にあって覚えられているのです。

2020年9月21日(テサロニケの信徒への手紙二3)

テサロニケの信徒への手紙二3 「どうか、平和の主ご自身が、いついかなるときにも、あなたがたに平和を与えてくださいますように。主があなたがた一同と共におられますように。 私パウロが、自分の手で挨拶を記します。これはどの手紙にも記す印で、私はこのように書きます。私たちの主イエス・キリ...