2020年9月17日木曜日

2020年9月17日(テサロニケの信徒への手紙一3)

テサロニケの信徒への手紙一3
「それで、きょうだいたち、私たちは、あらゆる困難と苦難の中にありながら、あなたがたの信仰によって慰められました。あなたがたが主にあって堅く結ばれているので、私たちは今、安心しています。私たちは神の前で、あなたがたのことで喜びに溢れています。この大きな喜びに対して、どのような感謝を神に献げることができるでしょうか。」
パウロは、今、困難と苦難の中にあると言っています。3節を見ると「このような苦難の中で、動揺する者が一人もいないようにするため」と言っています。パウロが遭っている苦難を知った教会の人たちが動揺し、つまずいてしまうかも知れないと心配し、配慮をした言葉なのでしょう。2:18では「そこで、あなたがたのところに行きたいと願いました。ことに、私はパウロは何度も行こうとしたのですが、サタンが私たちを妨げました」と言っています。パウロが再びテサロニケに行きたいと願っていたけれども、実現できなかった。パウロはそれはサタンの妨げであったと言います。具体的に何があったのか。パウロの体調が悪化したのか、迫害などのほかの外的な要因のために行動が制限されていたのか。いずれにしても、それはパウロ自身にとっても厳しい現実であったはずです。
しかし、今やパウロは慰めを受けている。それは、他ならぬテサロニケ教会の信仰によって受けた慰めだとパウロは言います。彼らが主にあって堅く結ばれているから。その様子を知って、「私たちは今、安心しています」と言います。この言葉には聖書協会共同訳の訳注が付いていて、直訳すると「生きています」という意味だそうです。テサロニケ教会の兄弟姉妹が主にあって堅く結ばれていることを聞き、その事実を慰めとして今生きている。パウロはそう言います。
その思いは私にもよく分かります。私は、コロナのことで教会堂での礼拝を中断せざるを得なかったとき、同じことを繰り返し考えていました。私たちは心ではつながっていても、時には体が離ればなれにならざるを得ないこともあります。しかしそれでもあの兄弟が、あの姉妹が信仰を持って生きている。その事実は私にとっての計り知れない慰めでした。教会の仲間がいるから、辛い時代を生きることができる。
教会の兄弟姉妹は、私たちにとってかけがえのない宝です。その存在が私たちにとっての慰め、励まし、神様が与えてくださった力です。

2024年4月20日の聖句

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