2020年10月22日木曜日

2020年10月22日(ヨハネによる福音書4:1~30)

ヨハネによる福音書4:1~30
「主よ、あなたは汲む物をお持ちではないし、井戸は深いのです。どこからその生ける水を手にお入れになるのですか。」
サマリアの女と主イエスとの対話です。生ける水を与えようというイエスの言葉をいぶかしく思って、彼女は問いただしました。「主よ、あなたは汲む物をお持ちではないし、井戸は深いのです。どこからその生ける水を手にお入れになるのですか。」私には、この言葉は、単純に言葉どおりに井戸が深いというだけではなくて、彼女の人生への諦めの言葉であるようにも聞こえます。生ける水、私を本当に生かしてくれる命の水があるのなら、飲めたらどんなに良いことか。しかし、そんなものを手に入れられるはずがない。そもそも、そんなものがあるとは思えない。例えあったとしても、私に関わりがあるはずがない。「主よ、あなたは汲む物をお持ちではないし、井戸は深いのです。どこからその生ける水を手にお入れになるのですか。」この言葉は、そんな諦めや絶望の言葉のような気がします。
主イエスは答えます。「この水を飲む者は誰でもまた渇く。しかし、私が与える水を飲む者は決して渇かない。私が与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る。」主イエスの答えはいつでも、私がその生きた命の水を与えようということに尽きるのです。私がそれを与える。主イエスがそう言ってくださるから、私たちは井戸が深いこと、手に入れられそうにないこと、どこを探したら良いのか分からないこと、そういうことで悩んだり、思い煩ったりする必要はない。キリストが、私たちに生きた命の水を飲ませてくださるからです。
キリストがお与えになる生きた水とは何か?いくつかの言い方をすることができると思いますが、一つには、キリストご自身の霊、すなわち聖霊のことだと言うことができると思います。キリストは私たちにご自分の霊を与えてくださる。キリストの霊を頂いて、私たちは生き生きと生きることができるのです。聖霊は、私たちにキリストの言葉を思い起こさせるのだ、とこの福音書を読み進めていくと書かれています。キリストの愛の言葉と共に私たちが生きることができるために、キリストは私たちに生きた水である聖霊を与え、私たちをキリストの命によって生かしてくださる。私たちの今日という新しい命は、キリストの命によって支えられています。

2024年4月26日の聖句

神を畏れ、その戒めを守れ。これこそ人間のすべてである。(コヘレト12:13) (イエスの言葉)「第一の戒めは、これである。『聞け、イスラエルよ。私たちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の戒めは...