2020年10月8日木曜日

2020年10月8日(ヤコブの手紙4)

ヤコブの手紙4
しかし神は、それにまさる恵みを与えてくださいます。そこで聖書はこう語るのです。
 「神は、高ぶる者を退け
 へりくだる者に恵みをお与えになる。」
ですから、神に従い、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。神に近づきなさい。そうすれば、神は近づいてくださいます。罪人たち、手を清めなさい。二心のある者たち、心を清めなさい。嘆き、悲しみ、泣きなさい。あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えなさい。主の前にへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高くしてくださいます。

古代からの教会の祈りに「キリエ」というものがあります。キリエ・エレイソン。「主よ、憐れみたまえ」という意味です。キリエ、それは罪の悔い改めの祈りです。キリエ・エレイソン、キリエ・エレイソン。「主よ、憐れみたまえ」と繰り返して祈る。呼吸に合わせて祈る伝統もあるようです。教会にこの祈りの言葉が伝えられてきたということは、教会の宝です。
神に従い、悪魔に立ち向かう。神に近づく。それは、罪を悔い改め、罪を嘆き、悲しみ、泣くことです。ヤコブの手紙は私たちに行いを伴う信仰に生きることを求めてきました。そこに真剣に生きれば生きるほどに、主の憐れみを求めるより他に道がないことに気づきます。真摯に生きようとすればするほどに、それとはほど遠い自分であるという事実が私たちに迫ってきます。
「あなたがたは、欲しがっても得られず、人を殺します。また、熱望しても手に入れることができず、争ったり闘ったりします」と言います。これは「今」という時代の姿そのものです。私たちの欲望を達成するために安い賃金で働かされ、私たちが安価な品物を手に入れるために不当な目に遭わされている人がいます。今という時代の姿そのものを聖書はあぶり出す。そして、私たちもこの時代の子です。私たちは時代の罪に巻き込まれているというだけではなく、積極的に加担しているのではないでしょうか。
主の憐れみを、私たちは真摯に求めるより他ありません。そして、時代の当たり前にささやかながらも抵抗し、他者のために生きる決意が求められているのだと思います。もしも私たちが、お客様の王様面に疲れ果てた店員さんにやさしく思いやりのある言葉をかけ、労苦をねぎらうなら、それもまた時代への小さな抵抗であると思います。他の人が広めている悪口をいさめたり、自分の胸にしまってせき止めることにも大きな意味があるでしょう。私たちは、この世界に、キリストの愛の使者として送り出されています。

2024年4月25日の聖句

救いは主のもの。 あなたの民の上に祝福を。(詩編3:9) イエスは手を上げて彼らを祝福された。(ルカ24:50) 主イエス・キリストは復活して40日間弟子たちと共におられ、その後、天に昇って行かれました。その時、主イエスは手を上げて弟子たちを祝福し、その恰好のままで天に上げられて...