2020年11月16日月曜日

2020年11月16日(ヨハネによる福音書18:28~40)

ヨハネによる福音書18:28~40
ピラトが、「それでは、やはり王なのか」と言うと、イエスはお答えになった。「私が王だは、あなたが言っていることだ。私は、真理について証しをするために生まれ、そのために世に来た。真理から出た者は皆、私の声を聞く。」ピラトは言った。「真理とは何か。」

人々はイエスを捕らえて、死刑にするためにローマから派遣された総督ピラトのもとへイエスを送りました。ユダヤは当時属国で、死刑判決を下す権限がなかったからです。ピラトから自分たちで勝手に裁けと言われたとき、「私たちには、人を死刑にする権限がありません」と言いました。はっきりと、イエスを死刑にしてくれと言ったのです。イエスを殺すために、彼らはピラトののところへ行ったのです。
しかし、どんなに取り調べても、ピラトにはイエスを死刑にする理由を見つけることができませんでした。ユダヤ人たちの言い分は、ピラトにとっては邪魔だったと思います。ローマ人ピラトにとっては、ユダヤなんて辺境の属国にすぎませんから、自分の出世ためにもこんな所で躓くわけにはいかない。うるさいユダヤ人を黙らせたかったのだと思います。それにしても、明らかに罪がないイエスを死刑にする理由もない・・・。それで、ユダヤ人たちが、イエスが王だと自称していると訴えている点について取り調べました。
来週の日曜日は、教会の暦ではアドベントの一週間前の日曜日で、一年の終わりの主日です。その日は「王であるキリスト」と呼ばれています。キリストの王としての御支配の前に私たちはひれ伏す。キリストの王としての御支配は、ピラトやユダヤ人、そして私たちが考える支配者像とはかなり違います。「私の国は、この世のものではない」とイエスは言われます。この世の王は軍事力や警察力、経済力などによって支配します。しかし、イエスはそうなさらない。イエスは、真理によって統治する王です。
それでは、真理とは何か。ピラトと同じ問いを私たちもしないわけにはいかない。この福音書はずっと真理とは何かと言うことを問い続け、語り続けてきました。この福音書が私たちに証しする真理とは、キリストご自身です。キリストを与えることによって示される神の愛です。生まれつきの盲人に光を与え、殺されそうな姦淫の女を解放し、38年間も病気で孤独だった人を起き上がらせ、喜びのぶどう酒を与える真理です。キリストは、神の愛という真理によって私たちの王でいらっしゃいます。
その王としてのお姿は、十字架の上げられることによってはっきりと示されました。キリストの御許に、私たちのための救いが備えられています。

2020年12月1日(ヨハネの黙示録1)

ヨハネの黙示録1 見よ、この方が雲に乗って来られる。 すべての人の目が彼を仰ぎ見る。 ことに、彼を突き刺した者たちは。 地上の部族は皆、彼のために嘆き悲しむ。 然り、アーメン。 聖書の最後に収められている、ヨハネの黙示録を読み始めます。1:1には「イエス・キリストの黙示」とありま...