2020年11月21日土曜日

2020年11月21日(ヨハネによる福音書21:1~14)

ヨハネによる福音書21:1~14
イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに「主だ」と言った。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。

ティベリアス湖畔で、主イエスが再び弟子たちにご自身を現してくださいました。その時、そこにいたのは「シモン・ペトロ、ディディもと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それにほかの二人の弟子」だったと言います。私は、シモン・ペトロもトマスもいるときに来てくださったイエスさまは、優しい方だと思います。シモン・ペトロは次の段落での主イエスとのやりとりを見ても明らかなとおり、自分が裏切ってしまったことで深く痛んでいました。トマスも、イエスが復活したと言うことを最後まで信じることができませんでした。二人とも、不信仰でした。不信仰について、聖書は仕方がないことだとか、その気持ちは分かるだとか、そういうことは言いません。不信仰は罪です。ペトロやトマスは、不信仰の罪を犯す私たちの代表です。そのようなペトロやトマスがいるティベリアス湖の畔に、イエスが立っておられるのです。
その日、彼らは夜通し漁をしましたが、何も捕れませんでした。夜が明けるとイエスが畔に立っていて、「何かおかずになる物は獲れたか」と言われる。「捕れません」。すると、主は船の右側に網を打てと言われる。果たして、その通りになった。それはペトロがかつて体験したのとそっくりな出来事です。主イエスと出会い、主の弟子になったあの日、あの朝、ペトロは同じ網の重みをその手に知ったのです。
イエスの愛しておられた弟子、恐らくこの福音書を書いたヨハネ自身と言われていますが、彼が「主だ」と言うと、シモン・ペトロは裸だったので上着を守って湖に飛び込み、岸まで泳ぎました。私はこの場面が大好きです。わざわざ上着を着て湖に飛びこぶだなんて!服を着て泳ぐのは、とても重いのです。ずっと漁師として水辺で生きてきたペトロであれば難なく泳げるのかもしれませんが・・・。しかし、ペトロはどうしても裸で主の前には行けなかったのでしょう。それだけ主イエスを愛し、尊敬し、大切に思っていたのでしょう。ペトロのそんなまっすぐな愛が、私は好きです。
ペトロもトマスも、不信仰の罪に沈みました。しかし主イエスは彼らのところへ行ってくださいます。ペトロの、あるいはトマスの小さな愛を見出してくださいます。そして、彼らのための食卓を主ご自身が準備してくださる。主イエスご自身の愛が、ペトロやトマスや私たちの毎日の営みを支えてくださるのです。

2020年12月1日(ヨハネの黙示録1)

ヨハネの黙示録1 見よ、この方が雲に乗って来られる。 すべての人の目が彼を仰ぎ見る。 ことに、彼を突き刺した者たちは。 地上の部族は皆、彼のために嘆き悲しむ。 然り、アーメン。 聖書の最後に収められている、ヨハネの黙示録を読み始めます。1:1には「イエス・キリストの黙示」とありま...