2020年11月23日月曜日

2020年11月23日(ヨハネの手紙一1)

ヨハネの手紙一1
「しかし、神が光の中におられるように、私たちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。自分に罪がないというなら、自らを欺いており、真理は私たちの内にありません。私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、あらゆる不正から清めてくださいます。」

使徒ヨハネが書いたと伝えられる手紙を今日から読み始めます。この手紙自体には差出人の名前がありませんが、読んでみると明らかにヨハネによる福音書と同じ神学をもって書かれています。中でも「神が光の中におられる」というのは、まさにヨハネらしい言葉です。
福音書でも、冒頭から光としての主イエスを紹介しています。「この命は人の光であった。光は闇の中で輝いている。闇は光に勝たなかった。」神は光の中におられる!そして、私たちのことも、その光の中へ招いておられます。
日が暮れるのが随分早くなりました。夜闇が濃くなっています。昨日の夕方、息子とキャッチボールをしました。すぐに暗くなってしまうので、ボールがよく見えません。キャッチボールには「見えない」ということは致命的ですが、それとは逆に「見えない」ことで安心を覚えるという場面もあります。恥ずかしくて人目にさらせない行いが、私たちにはある。しかしヨハネは私たちを光の中へ招きます。「神が光の中におられるように、私たちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。」恥ずかしくて人目にさらせない行いや思い、それは、聖書が罪と呼ぶ思いや行いです。夜の闇に紛れないとできない。その闇の中にごまかしてしまいたい罪から私たちを清めうるのは、神の光に他ならない。
だから、具体的に、自分の罪を告白しようとヨハネは私たちを促すのです。ごまかして、なかったことにしてしまいたい私の数々の罪。光の中では「交わりを持ち」ということが可能でも、闇夜の行いは結局分断しか生みません。それは罪の結果です。交わりの回復は、神に罪を清めていただかないことには始まらない。罪を告白し、神の光の中に進み出よう。神は罪を赦してくださっているのだから、と言うのです。
光からの光、主イエス・キリストを仰ぐ新しい一日が、ここに始まっています。

2024年4月23日の聖句

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