2020年11月27日金曜日

2020年11月27日(ヨハネの手紙一5)

ヨハネの手紙一5
「神の子を信じるあなたがたに、これらのことを書いたのは、あなたがたが永遠の命をもっていることを知ってほしいからです。何事でも神の御心にかなうことを願うなら、神は聞いてくださる。これこそ私たちが神に抱いている確信です。私たちは、願い事を何でも聞いてくださると知れば、神に願ったことは、すでにかなえられていると知るのです。」

何事でも神の御心にかなうことを願うなら、神は聞いてくださる。私たちはそのことを確信している。使徒ヨハネは私たちの祈りの確信をそのように言い表します。私たちは神が祈りを必ず聞いてくださっていると信じ、神がこの祈りを聞き届け、かなえてくださると信じて祈ります。ただ、神の御心に適うことを願うなら、と言っています。何が神の御心に適うのでしょうか。
そのことを考えるために、この文脈が大切であると思います。この文章はすぐ次に「もし誰かが、死に至らない罪を犯しているきょうだいを見たら、神に願いなさい。そうすれば、神は死に至らない罪を犯した人に命をお与えになります」と続いています。死に至らない罪とは何か、逆に死に至る罪とは何か。ここでは明言されていません。あまり、これこれこういう罪は死に至るけれども、こちらは死に至らないといった具合に分類化するというのはふさわしいことではないと思います。そもそも、罪の中で死ぬべき私たちをキリストによって神が赦してくださった。それが出発点なのですから。キリストの血によって私たちは赦され、救って頂いた。私たちが知っているのはその事実です。死に至る罪とそうでない罪、それは神様の判断なさる範疇としか言いようがないと思います。
だから、私たちは罪を犯したきょうだいのために祈る。その祈りを神は必ず聞いてくださいます。聞いて、かなえてくださいます。私たちはきょうだいのために執りなしの祈りをするために、神に召されているのです。「それゆえ、癒やされるように、互いに罪を告白し、互いのために祈りなさい。正しい人の執り成しは、大いに力があり、効果があります(ヤコブ5:16)」。
神様の御心は、私たちがキリストを信じることです。神様が私たちを愛し、キリストを与えてくださいました。私たちを神の子として愛してくださったからです。その私たちが神を愛し、きょうだいを愛することを、神は私たちに望んでいてくださる。私たちの祈りは、神の愛から始まります。

2024年4月19日の聖句

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