2020年11月30日月曜日

2020年11月29日(ユダの手紙)

ユダの手紙
「愛する人たち、私たちが共にあずかっている救いについて書き送りたいと、心から願っておりました。あなたがたに手紙を書いて、聖なる者たちにひとたび伝えられた信仰のために闘うことを、勧めなければならないと思ったのです。」

ヤコブの兄弟ユダが書いた手紙です。この人がどういう人なのかはよく分かりません。ただ、主イエスご自身の弟たちの中に、ヤコブという人とユダという人がいました。それでユダも主イエスの弟であるユダなのかもしれないと考えられているようです。確証はありませんが。しかしそう読むことも許されると思います。
この手紙で、ユダはキリスト者立ちに向かって闘いを呼びかけています。「聖なる者たちにひとたび伝えられた信仰のために闘うことを、勧めなければならないと思った」と言います。闘うというと随分と物騒に思えます。どういうことなのか?
ユダはある人たちがキリストを否定し、不敬虔に生きていると指摘します。それは、旧約聖書の中に登場しているソドムとゴモラのような罪であり、あるいは天使と争った悪魔のようであり、あるいは他にもカイン、バラム、コラといった旧約聖書に登場してきて過ちを犯してしまった人たちの名前を挙げていきます。かなり強い言葉で断罪する。しかし、だからといって彼らを呪えとか、挨拶をするなとか、力尽くでやっつけろというようなことを言っているわけではありません。それでは、一体どうやって闘うのか?
「愛する人たち、あなたたは最も聖なる信仰の上に自らを築き上げ、聖霊によって祈りなさい。神の愛の内に自らを保ち、永遠の命を目指して、私たちの主イエス・キリストの憐れみを待ち望みなさい。」
ユダは、他の人がどうであれ私たちが一心に神を信じること、そして信じ続けることによって闘うのだ、というのです。他の人を追い落としたり嫌がらせをしたり、そういうことで闘うのではない。キリストの愛を信じ、神の救いを待ち望むことそれ自体が私たちの闘いだと言うのです。
私はやられたらやり返したくなるし、相手を言い負かして字部が正しいと証明したくなってしまいます。しかし、聖書はそうは言わないのです。私たちはただ神を信じ続ける。それだけです。それだけでいいのです。一心に主を見上げる一途な心、一筋の心を与えてくださいと祈りつつ、今日の日を始めていきます。

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