2020年11月3日火曜日

2020年11月3日(ヨハネによる福音書10:1〜21)

ヨハネによる福音書10:1~21
「私は良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。羊飼いではなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。ーー狼は羊を奪い、また追い散らす。ーー彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。私は良い羊飼いである。私は自分の羊を知っており、羊も私を知っている。」

主イエスは言われます。「良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」しかし、そんな羊飼いなんているのでしょうか。狼が襲ってきたときに羊のために自分を身代わりにして羊を救う羊飼い。そんな羊飼いは実際にはありえません。主イエスは羊を見捨てる羊飼いは雇い人であって、羊が自分の羊ではないから見捨てるのだ、と言われます。しかし、例え自分の大切な羊であっても、羊のために自分の命を捨てる羊飼いなど、ありえないことです。主イエスが言われる羊飼いは、私たちの常識からしたらまったく規格外の存在です。
主イエスは言われます。「私は良い羊飼いである。」「私は羊のために命を捨てる。」羊のために命を捨てる良い羊飼い、それはイエス・キリストです。このお方こそ、私たちをご自分の羊として飼い、養い、私たちが狼に襲われたならばご自分の命を捨てて私たちを守り、救ってくださる良い羊飼い、私たちの常識に当てはまらないほど慈悲深い羊飼いです。
羊飼いである主イエス・キリストのみ声は、聖書に記されています。私たちはキリストのみ声に聞きます。「羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、付いていく。しかし、ほかの者には決して付いて行かず、逃げ去る。その人の声を知らないからである。」私たちは、主イエスではない悪い羊飼いの声を慕って、それに付いて行ってしまうようなことがないでしょうか。悪い羊飼いは、私たちのために決して命を捨てません。一時的には魅力的に映っても、本当に私たちの魂を養い、生かすお方は、私たちのために命を捨ててくださる良い羊飼い、イエス・キリストをおいて他にはいないのです。
キリストが、私たちを養ってくださいます。今日も、そのみ声によって。神の愛を私たちに現してくださったこの方こそ、私たちを平和の内に生かしてくださる、まことの羊飼いです。

2024年4月17日の聖句

私の魂よ、主をたたえよ。 私の内なるすべてのものよ、その聖なる名をたたえよ。(詩編103:1) 私たちの主イエス・キリストの父なる神が、ほめたたえられますように。神は、豊かな憐れみにより、死者の中からのイエス・キリストの復活を通して、私たちを新たに生まれさせ、生ける希望を与えてく...