2021年1月1日金曜日

2021年1月1日(詩編1)

詩編1
幸いな者
悪しき者の謀に歩まず
罪人の道に立たず
嘲るものの座に着かない人。
主の教えを喜びとし
その教えを昼も夜も唱える人。
その人は流れのほとりに植えられた木のよう。
時に適って実を結び、
葉も枯れることがない。
その行いはすべて栄える。

主の教えを喜びとし、昼も夜も唱える人!その人は何と幸いなことでしょう。この「唱える」という言葉を辞書で引くと「黙想する」という意味もあると書かれています。とても魅力的な訳語です。黙想、それは聖書の御言葉に沈み込むことです。深く沈潜して、御言葉を内側から感じ取ることです。詩人の八木重吉がこのような詩を残しています。

この聖書(よいほん)のことばを
うちがわからみいりたいものだ
ひとつひとつのことばを
わたしのからだの手や足や
鼻や耳やそして眼のようにかんじたいものだ
ことばのうちがわにはいりこみたい。

主の御言葉を感じ取るとき、私たちは命の水の流れに養われていることに気づきます。葉も枯れず、実を結ぶ。
この「唱える」という単語ですが、「ブツブツ何かを言う」という意味もあります。ブツブツと言うと随分と印象が悪いですが、恐らく口の中にずっと言葉があり続ける、ということだと思います。ここでは口の中にあるのが不平ではなく、主の教えなのです。何が口の中にあるかで、私たちは変わります。
主の御言葉に入り込み、内側から感じ、私たちの口の中に御言葉があり続けるなら、私たちは必ず新しくなります。キリストに似たものにしていただける。私はそう信じています。御言葉が私を新しくする。そうであるならば、後は神さまの責任です。御言葉によって私を新しくしてくださる神さまに期待し、喜んで御言葉を口ずさみ、深く御言葉に潜り込んで、そこに込められた神の愛を感じ取りたい。そう願います。

新しい年も、神の言葉の祝福があなたにありますように。

2024年4月25日の聖句

救いは主のもの。 あなたの民の上に祝福を。(詩編3:9) イエスは手を上げて彼らを祝福された。(ルカ24:50) 主イエス・キリストは復活して40日間弟子たちと共におられ、その後、天に昇って行かれました。その時、主イエスは手を上げて弟子たちを祝福し、その恰好のままで天に上げられて...