2021年1月13日水曜日

2021年1月13日(詩編17)

詩編17
あなたの剣によって、悪しき者から
  私の魂を救いだしてください。
主よ、人々から、あなたの手で。
人々から、彼らの人生の分け前であるこの世から。
あなたがたかくまった人に
十分な食べ物を与えてください。
子どもたちも満ち足り
その幼子たちにも豊かな富を残せますように。
私は義にあって御顔を仰ぎ見
目覚めてはあなたの姿に満ち足りるでしょう。(13~15)

私はこの詩編の最後の言葉がとても好きです。この詩編では、途中で「あなたは私の心に試練を与え、夜、訪れて私を試みました」と書かれています。試練の中で神に自分の心の中を試される。苦しみの中で私は神に逆らってしまうのではないか、正しくない思いや行いへの誘惑に負けてしまうのではないか。だから、「神よ、私はあなたに呼びかけます」と言って、神の慈しみの御業によって私を守り、悪しき者から私を救ってください、と祈る。それらは、夜のイメージです。夜陰に乗じて私を誘惑する私自身の心や、私の心を誘惑する世の繁栄や富を「私を攻める者」と呼んでいるのかもしれません。しかし、神さまが、やがて眠りに就く私たちの手を取って起こしてくださる朝が来ます。朝の光の中、神が私の手を取って起こしてくださる。「私は義にあって御顔を仰ぎ見、目覚めてはあなたの姿に満ち足りるでしょう。」
夜の闇の中では、自分の罪悪感や実際に自分を責める声、理不尽な物言い、そういうものが私たちの頭の中を乗っ取ってしまうようなところがあります。しかし、神が手を取ってくださる朝、私たちの目に入るのは神の御顔だけです。目覚めた私たちの耳が聞き取るのは、神のみ声だけです。
これは、私たちの死の先にある復活の朝のことを言っているのかもしれません。私たちの死を超える希望、それは、朝の光の中で神の御顔を仰ぎながら、神に手を取られて目覚めることへの希望なのです。

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